[M&A事例]Vol.133 「良い仕事をしたい」――。2社譲り受け生き残りを図る創業75年の老舗樹脂素材製品メーカー
樹脂素材製品メーカーのカツロンは、1年半で2社を譲り受けました。元々成長戦略にはなかったM&Aをなぜ行ったのか、M&Aの目的と現在について伺いました。
譲受企業情報
※M&A実行当時の情報
2016年8月にM&Aを実行された金子眼鏡株式会社の金子代表に、M&Aによる譲受を検討された経緯、今後の事業戦略などを伺いました。
2代目としてビジネスモデルを試行錯誤し、現在の自社生産体制へ
金子様: 金子眼鏡は、福井県鯖江市に本社を置くアイウェアの企画・製造・販売の会社です。1958年に私の父が創業し、当時は100%他社製品の卸売で顧客は北海道の道南が中心でした。私は東京の大学を卒業後実家に戻り、1980年に入社しました。当時は1ヶ月のうち3週間は出張で、北海道との二重生活が数年間続きました。そのうち現地にて任せられる人材が確保できたので営業拠点を設立、できた時間を都心向け営業に振り向け、力を入れ始めました。当時すでに流行の発信地となっていた渋谷や原宿の眼鏡店にいかに商品を置いてもらえるか、という点に腐心した結果、自社製品の必要性を感じて開発に着手、3年かけてようやくヒット商品を出せるようになってきました。
バブル崩壊後の1990年代、ファッションの世界ではDCブランドが廃れ、セレクトショップ重視に顧客の志向が変わってきましたが、当社の場合はデザインが好評を得たお陰でむしろ追い風になりました。職人の名前をブランドに冠して製品化した「職人シリーズ」は、当時としては業界で初めての試みとなり、特に注目を浴びました。
その後海外の展示会出展を経て2000年にニューヨークに海外初出店。さあこれから、というところで卸ビジネスが急激に下降線をたどり、4年間で赤字に転落するまでになってしまいました。そこで、「ものづくりの世界観を直営店で伝えるビジネス」にシフトしたのです。そこからの私の仕事はデベロッパー回りになります。国産眼鏡の中では高価格帯の商品を扱う金子眼鏡は、売上に比して客数が少なく面積も半分で済み、効率が良いので当時から受けは良かったのです。そして2006年、自社生産に着手しました。3年ほど前から生産と販売のバランスがようやく良くなり、現在に至っています。
金子様: プラスチックやセルロイドのフレーム製造に着手したのが10年前でした。職人が減っており、プラスチックは今後生産が厳しくなると予測し自前生産を推進した結果、現在ではプラスチックは自社で一貫生産が可能なレベルまで来ました。
一方、メタルフレームについては、3年ほど前から数社の外注先と連携して工程を分担することで、メーカー機能を備えようと取り組んだのですが、メタルの工程はプラスチックの約4倍、一層自前での生産のサプライチェーン構築が厳しいことが分かりました。今後外注できなくなるリスクの高い工程もあることが分かり、そこは内製化が必要と考えて有力メーカーとの業務提携を視野に入れはじめた矢先に、今回のM&Aの提案があったのです。これ以上ないタイミングの良さでした。
自社と産地の10年後を見据えた前向きな選択
金子様: 栄光眼鏡はメタル素材に特化したフレーム製造会社で、当社が内製化を検討していた部分とまさに合致していました。実は、栄光眼鏡とは1年前から取引を始めていたため、相手先を知っている安心感もありました。また、同業のメーカーが多かれ少なかれ借入の負担がある中、栄光眼鏡は堅実な経営を続けてこられた結果無借金で財務は安定していました。もちろん、設備の老朽化や従業員の高齢化、トップダウンで指示待ち傾向、内製化が低い、という中小企業ならではの課題もあったため、売上や利益が一旦下がることも覚悟したうえで10年後を見据えてやりきるテーマだと思い本件に取り組むことにしました。
眼鏡業界のM&Aといえば、海外ではイタリアのルクソティカとフランスのエシロールが合併し売上高2兆円に迫る企業ができていて、世界のトップ企業でも先を見据えWIN-WIN の関係をM&Aで構築しようとトライしている流れがあります。国内では、眼鏡の大手小売チェーン等が鯖江に生産拠点を取得していますが、経営支援に近いかたちでの譲り受けであり、どちらかと言うと後ろ向きな印象がありました。そんな状況だからこそ、健全な会社同士の前向きなM&Aは金子眼鏡と栄光眼鏡が産地初の事例になるのでは、と想像し、しっかりやりきろうと力が入ったのを覚えています。
金子様: 前社長が事業承継に関して従業員に事前にアナウンスしてくれていたお陰で、従業員に驚きは少なく、すんなり溶け込めた印象はありました。偶然ですがM&A直後に社員旅行が予定されており、一緒に参加してすぐに懇親を深めることができたのも大きかったです。
また栄光眼鏡の取引先には、これまでと変わらず商品を納めることを約束しましたので、安心してもらえました。近所にあるのに訪問するのがはじめての同業もいくつかあり、M&Aをしなければ知ることもなかった世界を見ることができました。業界全体のことを皆で考え、産地が直面する課題解決に向けて少しずつ取り組み、生産を維持できる仕組み作りが必要だということを業界で共有できればよいと考えています。
産地の歴史に学び、産地があったからこそ築けたブランディング。 産地を活性化する力になりたい
金子様: 少なくとも、今回のM&Aでひと儲けしようという思いはありません。次のビジョンは「川上から川下まで」そして「それを太くする」こと。モットーは「オープンな思想で当地での生産を続ける」ことです。鯖江という産地がなくなると自分達がこれまで築いてきたブランディングが崩壊すると思いますし、この街に投資しなければならないとの使命感を持っています。
刻んだ歴史に学びつつ、地方として産地としてダイナミックに色々なことをやっていくべきで、地場産業にはオピニオンリーダーが必要だと思います。当社も私も、少しでもその役割を果たすことができればと考えています。ブランディングも元々はビジネス目的かもしれませんが、それを根付かせることができればやがて産地を引っ張り活性化していく原動力になると信じて事業を進めております。
金子様: 今の直営店戦略を5~10年で完成できたので、次の5~10年もそれほど悲観しておりません。経営においては、「やる気」と「腹をくくる覚悟」があるかどうかが重要です。産地のインフラとして不可欠な会社にしたい、との思いが強くあります。
ジャンルは異なりますが、ブランドとして感銘を受けるのはエルメス。職人的でホンモノ志向なところは参考になりますし、我々もメゾンと呼べるものを今後も作っていきたいと考えています。
金子様: M&Aセンター担当者さんは、3年前に初めてお会いしましたが、ファッションに精通していて当時から当社眼鏡のファンだったそうです。業界のことも良くわかってくれていましたし、心地よいレスポンスの早さも手伝い、安心して進行を任せることができました。
次々に会社を買っていく、という戦略は私自身全くないのですが、彼からのM&A情報であればまた聞いてみたいですね。
樹脂素材製品メーカーのカツロンは、1年半で2社を譲り受けました。元々成長戦略にはなかったM&Aをなぜ行ったのか、M&Aの目的と現在について伺いました。
ダクトの部品製造を手掛ける森鉄工業のオーナーは70歳を超え、後継者不在や会社の課題解決のために他県の会社に譲渡を行いました。
総合印刷会社エムアイシーグループは、約半年の間に3社を譲受けました。M&Aの目的、成約後のPMIについて話を伺いました。
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金子眼鏡は世界的な眼鏡産地である鯖江の伝統と、ものづくりのクラフトマンシップを体現する眼鏡業界のトレンドリーダーです。個人的に、金子眼鏡との出会いは20歳の時でした。職人コレクションの小竹長兵衛作の作品を購入したのがきっかけです。3年前より金子社長とお付き合いしていますが、金子社長の産地に対する思いを今回このようなかたちでお手伝い出来たことを大変光栄に思っております。今では3本になった私の金子眼鏡コレクションに、栄光眼鏡様とのコラボモデルが加えられる日が来ることを心待ちにしております。