未払賃金の時効の「援用」とは?

横井 伸

著者

横井伸

日本M&Aセンター法務部部長/弁護士/博士(経営法)Ph.D.

M&A法務
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以前のコラムでは、未払賃金を請求する場合、時効期間が労働基準法第115条に定められた2年間を超えた後も認められる場合も考えられるという、時効期間の問題について取り上げました。 一方で、時効期間が経過しても債務の履行を拒めない場合があります。今回は、会社側が時効を主張する場合の問題について書こうと思います。

Time is moneyというけれど・・・

時効の利益を得るには「援用」が必要

一般的に、時効期間が経過しても債務が当然に消滅する訳ではありません。債務者が時効の利益を得るには、民法上の「援用」(時効の利益を受けようとする観念の表示)が必要になります。

民法145条 時効は、当事者が援用しなければ、裁判所がこれによって裁判をすることができない。

従って、未払賃金が存在する場合、会社側としては、2年以上経過している場合には時効を「援用」することによりその支払を免れることになります。 援用の方法については特に法律上定めがある訳ではないので、内容証明郵便で時効援用をしても裁判上で時効援用しても基本的には自由です。

「時効の中断」があると、時効の完成が阻止される

時効があと少しで完成しようとしていても、「時効の中断事由」が生じると、その時までに進行してきた時効の進行はとまります。そうすると、原則的には、改めて時効期間が経過しなければ時効は完成しません。時効の中断事由として代表的なものは、裁判上の請求や、支払督促、差押、承認等です。債務者自身が債権の存在を知っている旨を表示する承認も含まれている点に注意が必要です。

「時効の放棄」により時効の「援用」が制限される

さらに、「時効の中断」なく時効期間が経過して時効が完成した後であっても、債務者が債務を承認すれば、その完成した消滅時効の援用は信義則により許されないとされることがあります(最大判昭和41年4月20日)。時効の完成を知らなかったとしても同様です。 余談になりますが、 私が法律事務所で新人だった頃、債務者からの依頼である貸金業者(正確には、貸金業者から債権譲渡を受けた極めて危険な匂いのする会社)から取引履歴を取ったのですが、何と昭和50年代に最後の貸付をして、その後15年近く放置し、平成に入ってから大きく膨らんだ利息分を含めて債務者から債務承認の書面を取り、延々と取立を続けているという凄い事例がありました(記憶ベースの話なので多少の話の盛りはご了承を)。 15年近く放置しているので当然に貸金債権の時効期間が経過している事案です(商事債権の消滅時効は5年)。 ところが、本件では本人に時効「援用」という法知識が無かったため、時効を援用せず、逆に時効期間経過後に書面で債務の存在の「承認」(民法147条3号)をしてしまい、折角の時効利益を放棄してしまっていました。

未払賃金の時効の援用は常にできるのか?

このように、時効の利益を得るには必ず「援用」が必要になるのですが、これが常にできるとは限らないのが法律の怖いところです。 判例を見ていきましょう。

<長野地裁佐久支部平成11年7月14日判決> ある警備会社の元従業員らが警備会社を相手どり、未払残業代等の請求をした事件です。 この事件では、従業員らが労働組合を結成して会社と交渉を行う等の経過を辿ったのですが、会社側が交渉過程でタイムカードや警備勤務表、賃金台帳等の開示に協力しないまま、時効の援用を行った事案です。裁判所は以下のように述べ、会社側の時効の援用を権利濫用(民法1条)として認めませんでした。 「以上に認定した事実によれば、原告らは、組合結成後、数回の団体交渉、労働委員会での斡旋手続、催告の手続を行い、最終的に本件訴訟の提起に至ったものであり、必ずしも権利の上に眠っていたというものではない。また、労働組合結成後いきなり訴えを提起せず、右の各手続を履行したことは、労使対等の原則に基づく労使間の自主的な紛争解決を期待する憲法、労働組合法の基本理念に合致するものである。 その上、原告らには、給料明細書のほかは時間外手当、深夜手当を算出すべき資料がなく、時間外手当、深夜手当の計算に相当程度の準備期間を要することは、被告においても十分に了知していたはずである。 このような経過のなかで、訴え提起後約2年4か月を経て、たまたま時効期間が経過したことを理由に時効を援用することは信義にもとるものであり、権利濫用として許されないものというべきである」

会社側の取るべき態度

上記判決とは必ずしも同じ話ではありませんが、未払残業代の請求をされた時に、会社側がタイムカードや賃金台帳等の証拠開示を一切行わない等、あまりにも非協力的な態度に終始した場合、時効援用で裁判所から厳しい判断が下される可能性は十分考えられます。是非ともご注意下さい。

関連コラム:「法務室column ~未払賃金-結構難しい、時効の問題~」

日本M&Aセンターの公認会計士・弁護士・税理士・司法書士

著者

横井 伸

横井よこい しん

日本M&Aセンター法務部部長/弁護士/博士(経営法)Ph.D.

東京大学経済学部卒。旧防衛庁勤務を経て、2006年司法試験合格。2007年弁護士登録(第二東京弁護士会)。2023年一橋大学大学院法学研究科ビジネスロー専攻博士課程修了。 ディール進行上のコンプライアンス・受託スキームの検討など法務全体の統括責任者を務めている。 主な著書に、「買い手の視点からみた中小企業M&AマニュアルQ&A(第2版)」(中央経済社)、「M&Aの視点からみた中小企業の株式・株主管理」(中央経済社)など。 神戸大学大学院経営学研究科 客員教授(2023年6月1日就任)。

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