売る・買うの垣根が低い、ITベンチャー企業成長のためのM&A
⽬次
- 1. 2017年の国内M&A件数
- 2. ベンチャー企業のM&Aが活発化
- 3. ベンチャー企業のM&Aの実例
- 4. ホームレス起業家から、2年で京セラグループに
- 4-1. 化学者になりたかった
- 4-2. ホームレス起業家
- 5. AIで人間を自由に
- 6. 京セラから見たAI
- 6-1. 7万人の中にいた、AIの天才
- 6-2. 大企業とベンチャーのM&Aに必要なこと
- 7. テクノロジーで株価がつく時代に
- 7-1. 著者
ベンチャー企業が成長のためにM&Aを取る、というのが近年のトレンドの一つである。売り買いする双方がどのような意図でM&Aに望み、そしてそれがどのような結果をもたらすのだろうか。
2017年の国内M&A件数
2017年の国内M&A件数は3,050件に上り、前年を15%上回った。日本全体としてM&A自体は増加傾向にあるが、特にIT業界においてはさらに増加が顕著だ。同業界のM&A件数は748件と前年比20%増にまで成長している。
中でも、経営戦略のひとつとしてM&Aで会社の売却を選択するITベンチャー企業が増えてきているという事実がある。
たとえばITベンチャー企業が、「自社の技術を広く世の中に普及させたい」というニーズから大手へ譲渡するケース。希少性の高い技術を持っていれば、ある程度は自社の力だけで成長できるが、それにも限界がある。M&Aで大手企業の傘下に入り大手の資本力を活用した方が、自社の技術は一気に世界に浸透させる確率があがる。
一方で新規事業を早期に立ち上げたい大手企業側にとってもメリットがあるため、こうした企業の譲渡の流れは今後も加速していくだろう。
また、IPOを目指していた経営者が、出口戦略をM&Aに変更するケースも多い。これは「M&Aが売り手にとっても企業成長の手段である」という考えが、若い世代を中心に浸透していることも影響している。
いまや、IPOとM&Aを成長手段として同列で検討する時代になったのだ。以前のように「事業や会社を売って手放す」ことに後ろ向きなマイナスのイメージはほとんどない。
そのほかにも、買い手としてM&Aを検討していたところ、市場環境やタイミングを考えた結果「売るほうが会社の成長につながる」と方針転換する経営者もいる。売り手・買い手いずれにしても、「成長のためにM&Aを活用する」という点においては利害が合致しているのだ。
経営者は、自社の現状と将来のビジョン、業界の流れを見極め、成長のためにはどのような選択をとるべきなのかという決断が求められる。日頃から信頼できる周囲の経営者仲間や専門家に相談するなどして能動的に情報を集め続けることが大切だといえる。
ベンチャー企業のM&Aが活発化
ここからはベンチャー企業におけるM&Aの近況、実際の数値を交えてさらに詳しく解説していく。
2016年のITソフトウェア企業M&Aの取引金額(レコフデータベースより日本M&Aセンター作成)
2016年、同業界においてディールサイズで最大だったのは、孫正義率いるソフトバンクグループがモバイル向けゲーム開発会社のSupersell(フィンランド)を総合IT企業のTencent(中国)に売却したディールであり、売却額は7,700億円であった(※)。
Supercellはソフトバンクが2013年に1,500億円で買収した企業であるが、ソフトバンクは選択と集中を進めた結果、ゲーム事業からの撤退を決めている。「パズドラ」でも有名なガンホーエンターテイメントの株式売却も記憶に新しい。ソフトバンクは本件で多額の資金調達を得て、その後の英国半導体設計大手のARM買収(3.3兆円)へと繋げている。
(※ディールサイズは、Supersellより、ARMが大きいが、ITソフトウェア業界の括りとして、ARMは除いている)
また、国内のディールで最大だったのは三井物産を筆頭に日本政策投資銀行、グロービズキャピタルパートナーズ等がモバイル向け、フリマアプリ開発のメルカリに出資したディールで金額は84億円であった。 クロスボーダーでは7,700億円という過去最大規模のディール(2015年最大のディールは総合IT企業のヤフーがホテル予約の一休を買収したディールで約1,000億円)が起こった一方、国内では100億円を超えるようなディールは起こらなかった。
ベンチャー企業のM&Aの実例
ここからは当日本M&Aセンターが仲介して成約に至ったM&Aの実例を紹介しよう。
【譲渡企業様】
・企業名⇒株式会社Rist
・業種⇒受託開発ソフトウェア業
・売上(M&A当時)⇒60百万円
・オーナー様のご年齢⇒27歳
【譲受企業様】
・企業名⇒京セラコミュニケーションシステム株式会社
・業種⇒受託開発ソフトウェア業
・売上(M&A当時)⇒100,000百万円
・オーナー様のご年齢⇒未開示
ホームレス起業家から、2年で京セラグループに
まずは譲渡企業Ristの軌跡を簡単に紹介する。代表取締役を務めた遠野宏季氏の略歴から追っていこう。
化学者になりたかった
Ristの代表取締役である遠野宏季氏。小さいころの夢は化学者だったそうだ。「化学によって人間の不自由を解消したい」という想いが、遠野氏の生きるモチベーションになっていた。
遠野氏は、発明少年として育った。視力が弱い人向けに超音波サングラスを開発したり、ゴキブリを触るのが苦手な母親を見て、殺虫スプレーをかけた後にひっくり返っているゴキブリを回収する道具も考案したという。
そんな遠野氏は、化学者の夢をより現実のものにすべく京都大学に進学する。
ホームレス起業家
京都大学大学院に進み、博士号取得を目指していた遠野氏に転機が訪れた。
研究の面白さも感じるとともに、facebookやTwitterのように、論文にはならなくとも、新しい発想で社会の人たちに役立つサービスをスピーディーに出していくことに興味が出てきた。
起業家になることを決意した遠野氏は、すぐに大学院を辞め、当時住んでいた京都のアパートも解約。しかしここで企業において肝心のプロダクトがまだないことに気付く。家もない、プロダクトもない、ホームレスと化した遠野氏の起業家人生がスタートした。
AIで人間を自由に
住む場所がないため、キャリーバッグひとつであちらこちらに寝泊まりしながら、遠野氏は、昼夜を問わず開発に集中した。独学で学んだプログラミング技術を生かして、開発を請け負いながら起業資金を貯めようと考えた。
そんな矢先、偶然にも大学の先輩から「AIをやらないか」と声をかけられた。これがRist社を立ち上げるきっかけだった。
Rist社を創業してすぐに「製造業の製品検査でAIを使えないか?」という相談を持ち掛けられ、すぐに遠野氏は、AIを使った画像検査のシステム開発に着手した。
このサービスをホームページに掲載したところ、問い合わせが殺到。その後も大手の製造ラインにRist社の製品検査AIサービスが導入されていくこととなる。
創業して2年、事業も軌道に乗ってきたタイミングだった。自社のサービスをより早くスケールさせるためには、M&Aで大手と組んだ方が早いと考えるようになった。
京セラから見たAI
M&Aの候補先にあがった京セラコミュニケーションシステムは売上1,000億円を誇る京セラグループのシステム子会社だ。通信系のサービスを得意としていたが、一方でAIのサービスの開発にも社を上げて取り組んでいたという背景がある。
しかし、AIの研究から実際のサービスの立ち上げには苦戦を強いられていた。そんな中、同じ京都で事業を展開するRist社のM&Aの話が浮上した。
7万人の中にいた、AIの天才
京セラグループは7万人の従業員を抱えるため、当然、優秀なエンジニアが多数在籍している。
中でも特にAIの分野で一目置かれる京セラのトップ技術者とRist社の遠野氏との面談が実施された。二人のディスカッションは大いに盛り上がり、Rist社の京セラグループ入りが現実化した。
大企業とベンチャーのM&Aに必要なこと
京セラの柔軟性
Rist社のM&A時の正社員はたったの2名、その他は京大のインターン生数十名と開発を行っていた。このような開発体制は、大企業の常識に当てはめれば不安要素が多いというのも事実だろう。
しかし、AIによる開発は、週5日、何十時間も開発に費やすわけではなく、瞬発的な集中力が必要になるもの。常勤でなくとも優秀なインターン生の頭を借りて瞬発的に開発プロジェクトを回すほうが開発の質の向上につながっていた。
京セラグループはこの開発体制に魅力を感じ、M&A後もそのままの形を維持することを尊重した。
テクノロジーで株価がつく時代に
Rist社の当時の売上は数千万円、従来であれば将来のキャッシュフローをいくら見込んだとしても数億円の株価はつきづらい状況にあった。
ただし近年では株価の新しい評価の基準が生まれつつある。
これまでのM&Aによる株価の評価は、既存の決算の数字をもとに将来のキャッシュフローを予測し、株価を決めていた。大切なのは直近の決算の数字である。そのほうが誰もが同じ尺度でその評価を理解でき、外部への説明能力があるためだ。
しかしここにきて、売上に寄与する前の段階で、テクノロジーやサービスの潜在能力を評価して、株価を評価するというフェーズに入ってきた。
この理由として、AIなどのテックを用いた新たなサービスは、これまでのサービスと比較し、売上が曲線的になだらかに上がるのではなく、直角にいきなり上がるケースが多いことが挙げられる。
その時点になっては大企業も二の足を踏むような株価になっていることが多く、可能性のある技術であれば、売上が数千万円の企業であっても、M&Aによってグループ内に取り込む企業が増えてきたのだ。
近年のテクノロジーの進化、サービスの成長スピードの変化は、新しい株価の評価を生み出すきっかけとなっている。