【銀行→投資会社→IT企業】50年の経験とM&A-エヌヴイ・コミュニケーションズ相談役・熊田恒雄氏コラム
⽬次
- 1. 第1回:バブル崩壊 日米金融機関と産業のM&A
- 2. 第2回:投資会社の事業再生投資とM&A
- 3. 第3回:IT企業の経営戦略と今後の第四次産業革命
- 1. 第1回:バブル崩壊 日米金融機関と産業のM&A
- 1-1. ダラス支店での出来事
- 1-2. 繰り返される歴史
- 1-3. ヒューストンの石油会社の大型M&A
- 2. 第2回:投資会社の事業再生とM&A(前半)
- 2-1. アジア諸国への憧憬
- 2-2. 銀行から投資の世界へ
- 2-3. シンガポールでの買収、合併、売却ディール
- 2-4. 投資のポイント
- 2-5. ◇マーケットで一定のシェアを持ちながら撤退する企業の情報のキャッチと、買収ニーズを持つ企業情報の把握。
- 2-6. ◇撤退は安く買え、マーケットシェアを上げて高く売る。
- 2-7. 民事再生からの事業再生投資
- 2-8. 事例(1)
- 2-9. 投資のポイント
- 2-10. 事例(2)
- 2-11. この案件の裏話
- 2-12. 失敗の本質
- 2-13. 事例1
- 3. 第3回:IT事業の経営戦略とM&A、そして第四次産業革命
- 3-1. IT業界の黎明期
- 3-2. リーマンショックによる打撃
- 3-3. IT業界の経営戦略とM&A
- 3-4. IT業界のM&Aの目的
- 3-5. 人材確保
- 3-6. 事業分野拡大
- 3-7. 請負事業顧客口座を確保するための買収(口座開設にかける時間を買う)
- 3-8. 財務上のメリット
- 3-9. オフショア、ニアショア買収
- 3-10. 開発部隊の内製化
- 3-11. 失敗しないための対処策
- 3-12. 買収により人材の流出を防ぐ
- 3-13. 文化の違いを融合する
- 3-14. 買収後の品質管理保証、クレームの発生、開発後のバグ発生等を見極める
- 3-15. 顧客との信頼関係の持続
- 3-16. 発行株式の100%を確保し、不明株主をなくす
- 3-17. 次世代経営者の育成とM&A
- 3-18. 第4次産業革命
- 4. 執筆者紹介 エヌヴイ・コミュニケーションズ株式会社 相談役 熊田恒雄 氏
- 4-1. プロフィール
私は団塊の世代に生まれ高度成長期に銀行の融資部門を経験し、日本企業の国際化の中でアメリカに通算11年駐在した。その後30年の銀行勤務経験を経て投資会社の役員へと転身し、ファンド運営と事業再生投資に携わり、多くの企業経営と事業の再生を経験した。
さらには投資先のIT企業の経営を通じ、一貫して考えていたのは企業、産業の発展、再生、再編にはM&Aが大きな役割を果たしていることだ。
シュンペーターの経済発展論における「新結合」しかり、このM&Aが果たす役割は、社会的にも経済的にも今の日本にとって非常に大きいと感じている。
3回にわたり、具体的にこのM&Aの体験を語ってみたい。
第1回:バブル崩壊 日米金融機関と産業のM&A
第2回:投資会社の事業再生投資とM&A
第3回:IT企業の経営戦略と今後の第四次産業革命
第1回:バブル崩壊 日米金融機関と産業のM&A
戦後復興から高度成長の時期、30数行に集約されていた普通銀行は、合併により13の都市銀行と3つの長信銀に再編され、その存在を確立していた。バブル崩壊後、東京銀行と三菱銀行の合併に始まる再編によって都市銀行は現在の4メガバンクに集約され、さらに約200の地方銀行の統合が進行している。
近年は、約1,800兆円の個人預貯金の拡大と、企業の内部留保拡大による運用難の中、ネットバンキングやフィンテック、決済機能の多様化等、銀行の存在が大きく問われる時代となっている。
銀行の運用難を招いた背景には、三業種規制など秩序なき金融行政による、厳しい貸し出し姿勢と担保主義の強化があり、銀行の信用創造機能の低下は結果として企業の内部留保を厚くし、技術開発投資の抑制に繋がった。
日経平均株価が史上最高値の38,915円を付けたのが平成元年(1989年)の12月、翌年から株式市場が暴落し、日本は長い経済の停滞に入った。私の銀行員としての歴史は、合併によってできた巨大銀行、第一勧業銀行を頂点とする、高度成長を支える銀行体制時代にはじまり、バブル崩壊後の銀行再編の中で終えることになる。
ダラス支店での出来事
ダラス支店駐在中の融資の現場で、その後の米国証券市場の混乱と暴走を予想させる事件に遭遇したこともあった。
着任して3日目、支店の融資担当者が支店長室をノックして、落ち着いた顔で「テックス(私のニックネームTEX)、U社(米国水回り機器メーカー)が、チャプター11(民事再生法)に入りました」との報告。着任早々まずいことになった。融資残高5百万ドルをカバーする担保は、約1百万ドルの売掛債権ファイルのみで、約4百万ドルが回収不足になることが頭をよぎった。
しかしその担当者は落ち着いた様子で「このローン債権はすぐマーケットに出し、回収不能額は最小限に出来る」とのこと。私には良く理解できなかったが、それから1週間で後に言われるジャンク債市場で4百万ドル以上の値がつき、さらに他の債権と合成され(SYNTHETIC BOND)、5百万ドル以上の債権(BOND)として市場に計上されることになった。
その時は米国証券市場の機能に大いに驚き安心することになったが、後々サブプライムローンに始まるジャンクボンドがマーケットで売買され、米国証券市場を大混乱に陥れるリーマンショックにつながることは知る由もなかった。
繰り返される歴史
過剰流動性の中で規制緩和が進み、ウォール街を中心とする資本市場の暴走がバブルを生むという歴史が繰り返されている。人間の英知がこの負の連鎖を断ち切り、技術革新による実物経済の発展が主導する世界が待たれる。
1990年代のエネルギーバブル、住宅バブルの中では、コンチネンタルバンクの破綻から業界再編が始まり、その後のリーマンショックを経て銀行規制が緩和され、日本と同様にM&Aによってシティ、モルガンチェース、バンクオブアメリカ、ウェルズファーゴの4メガバンクに集約。また証券業規制も緩和され、JPモルガン、ゴールドマンサックスも同じ土俵で金融業界を形成することになる。どこの国でも歴史は繰り返され、ケインズとハイエクの論争が教訓として生かされているのか見守りたい。
ヒューストンの石油会社の大型M&A
さらに米国駐在時代には、石油業界の中心の町ヒューストンにおける、石油会社の大型M&Aを目の当たりにした。
石油価格が乱高下する中で、埋蔵量には限界があり、掘削技術の開発と原油開発に膨大な資金がかかる事から、埋蔵量確保を目的とした、活鉱区買収や、鉱区を持つ会社の買収が活発化した。
エクソンモービルの合併のほか、シェブロンのガルフ、テキサコ買収は大きな事件として話題になり、買収劇の中で、ホワイトナイト、ゴールデンパラシュート、ポイゾンピルなどのM&A用語を目の当たりにした。
業界再編を経て、現在は掘削技術の進歩と、オイルシェールの開発が進んだことにより、原油価格は安定している。
1996年三菱銀行との合併に伴い、ダラス、ヒューストンの支店長として、支店の統合を完成して帰国、今度は横浜支店の統合を何とか成し遂げて、定年を迎えた。
三菱の組織と大きく企業文化の違う、東京銀行の顧客層と組織を統合するに当たり、多くの難題に直面したが、この合併、統合の話は別の機会にしたい。
第2回:投資会社の事業再生とM&A(前半)
アジア諸国への憧憬
「ぼくの将来の夢」として、小学校5年の時の作文を見ると「国連事務総長になりたい」というものだった。
当時コンゴ紛争を調停していた国連の事務総長、ハマーショルドがコンゴ上空で搭乗機墜落により死亡するという子供にも衝撃的な事件が起き、ニュースでも、親たちの間でも大きく話題になっていた。
また、大蔵省に入省した親族中の自慢の従兄が書記官としてモスクワに赴任したこともあり、私の夢は大きく世界に向いていたと思われる。
大学で専攻したゼミではキンドルバーガーの「経済発展論」や「国際資本移動論」、ミュルダールの「アジアのドラマ」に強く惹かれ、太平洋戦争後独立を果たしたものの、長い経済の停滞に苦しむアジア諸国の経済開発に強く興味を持つに至った。
大戦後、南北問題として国連も大きく取り上げ、先進各国による途上国援助を強化するも、開発に結び付かず、「国連開発の10年」は「援助より貿易を」を推進するも、これも成長には結びつかない情況が続いた。
1970年代に至り途上国の資本不足の問題が取り上げられ、先進諸国の国際化と、直接資本移動が、開発途上国の経済発展に結び付くことが認識されるようになった。
大学卒業が間近になり、就職活動にあたり、日本の高度成長、国際化の中で、アジアへ展開する日本企業のファイナンスにおいて、目立った動きをしている東京銀行を希望したのは自然の流れであった。
しかしながら私の略歴でも紹介の通り、東京銀行では一貫して国内企業融資と米国駐在に終始しアジアへの思いは果たせぬままであった。
銀行から投資の世界へ
銀行を定年退職するに当たり、米国駐在の際もインテルやマイクロソフトなど新技術を持ったベンチャーを育てるベンチャーキャピタルや投資ファンドの目覚ましい活躍を目の当たりにしており、独立系ベンチャーキャピタルとして、アジア、日本のマーケットをカバーする投資会社である「日本アジア投資」を第二の職場として選んだ。
ユニコーンを見つけるベンチャー投資には、長い経験と、技術を見る目が必要であり、銀行員として長い間B/SとP/Lという事業実績をベースとする融資の経験からは極めて難解な判断を要するものであった。
私の役割はCFOとして管理本部の財務経理を管掌し、日本アジア投資がジャスダックから東証1部への上場を果たす一方、投資事業のもう一本の柱として新たに事業再生投資に乗り出し、バリュー投資によって、投資先企業が、再上場、M&Aによってキャピタルゲインを得ることを狙い、この分野を管掌することとなった。
シンガポールでの買収、合併、売却ディール
2000年代バブル後遺症から多くの商社も厳しい冬の時代を迎えており、海外事業からの撤退の動きがみられた。
シンガポールにおいて東棉は建材リース事業の売却の動きがあり、この現地法人を買収、投資子会社として運営するため、東棉出身の経営者はそのまま経営に残した。
続いて現地資本と合弁会社を運営していた丸紅の建材リース事業からの撤退に当たり、この合弁会社も買収し、ただちに東棉から買収した投資子会社と合併させ、シンガポールにおける仮設建材リース事業市場の最大のシェアを確保した。
そして、従来からダウンタウンの再開発が見込まれるシンガポール市場に高い関心を持っていた、日本の仮設建材大手H社に売却、東棉建材リース買収から3年でキャピタルゲインを上げる投資事業となった。
投資のポイント
◇マーケットで一定のシェアを持ちながら撤退する企業の情報のキャッチと、買収ニーズを持つ企業情報の把握。
◇撤退は安く買え、マーケットシェアを上げて高く売る。
民事再生からの事業再生投資
事例(1)
東海地区で技術力のあるメーカーが、業績悪化から民事再生法を適用するとの情報をキャッチし、再生可能と判断し投資に踏み切った。
安定した顧客基盤を持ちながら、業績悪化の理由は、生産行程の管理不足とコスト管理の甘さにあった。
再建の第一歩は、大手メーカーの工場長を定年退職していた人材と、その下で経理責任者をしていた人材を経営陣として採用し、新社長と経理部長として投入。
また銀行債務のリスケ、労働債務の整理と全員再雇用により、再建経営に着手した。民事再生案件の場合、先ず至急やるべきことは、新株主である投資会社と新経営陣による、大口取引先と仕入先の信頼回復であり、丁寧な説明、あいさつ回りを最優先で実行した。
新社長による全面的生産ラインの見直しによる、生産工程の変更と製品別コスト管理、工番管理システムを徹底した。
民事再生に入った従業員の危機管理意識と、新経営に期待する再建の意欲は高く、極めて短期間のうちに採算は改善していった。
投資実行から3年、大手同業他社への売却により、キャピタルゲインを産む成功案件となった。旧経営陣、全社員を集めたM&A発表パーティでは売却先企業、取引先企業を含めた全関係者すべてが喜びに包まれたものとなった。
投資のポイント
安定顧客と技術力があれば、優れた生産工程、コスト管理能力を持った経営者、スタッフの確保、全社員、管理層の危機意識次第で再建ができる。
事例(2)
関西地区で高い技術力を持った石油関連製品の製造メーカーが、過剰投資に伴う資金繰り破綻で民事再生に入った。超短期間での再建を確信して投資を決定した。
技術力に高い自信を持つ当社は、石油会社との取引において、米国内生産による直接取引を狙った過剰投資の結果、資金繰り破綻に繋がった。
再生の第一歩は、経営陣の中からの新社長抜擢、社内生産体制の安定化、そしてやはり急ぐのは大口取引先顧客の信頼回復であった。
ただちに新社長と共にシカゴに飛んだ。厳寒のシカゴ、投資会社株主と新経営陣による再建計画を約5時間にわたり必死の思いで説明した。重苦しい空気の中、帰ったホテルに夕刻、新契約更改の一報が入った!
一度民事再生に入った会社の社員の危機意識と新経営陣の意識は高く、新社長による新事業分野への展開は早く、国内取引先からの出資も順調に進み、投資実行から約3年でジャスダック上場という形で再建が完了した。
この案件の裏話
実は私の東京銀行ヒューストン支店長時代、この企業のオーナー社長が来店し、ヒューストンにおいて現地生産のため、設備投資資金として一千万ドルの借入をしたいという申し入れがあった。
石油業界において極めて難しい直接供給体制参入を考えると、この計画は無謀と判断し、融資を断った経緯があった。再生投資の実行をする私との再会に、不思議な運命を感じたに違いない。
投資のポイント
技術力の正当な評価、早急な顧客の信頼回復が成否を決める。
失敗の本質
事例1
大手メーカーのティアワン(一次下請け)の樹脂成型部品メーカーのA社は、メーカーのリコール問題で上場株が暴落した。
これをチャンスに34%の株を買収、取締役として経営に入り、経営の合理化、生産体制の合理化、販売先の多角化など再建を目指した。
新たに経営者を社長として投入するも、続けざまにメーカーによるリコールが発生し、再建を断念するという結果となった。
再建の成功にも、失敗にも明確な理由があり、投資会社の極めて優秀なスタッフとともに多くの経験をした。M&Aによる売り手、買い手、マーケット、そして社員全てが喜ぶディールと同様、事業再生の成功には産業社会にとって、大きな意義があると思われる。
上記の事例からも見られるとおり、経営が悪化する要因には、無謀な経営計画、杜撰な経営管理がつきもので、オーナーや株主のためでもなく、社員の為にあるべき会社を崩壊させる結果となる。
第3回:IT事業の経営戦略とM&A、そして第四次産業革命
IT業界の黎明期
1995年のWindows95はパソコンとネットワークによる無限の可能性が感じられ、マイクロソフトを夢見た多くのIT起業家、投資家が飛びつき、ITバブルとなって2000年ごろにピークとなった。
日本でも、実態の伴わない多くのITビジネスが崩壊の道をたどったが、パソコンとインターネットによるITの技術革新はまぎれもなく本物であり、米国のマイクロソフト、アップル、グーグル、アマゾンなどの企業は着実に生き残り、その後の産業を牽引した。
日本でもソフトバンク、楽天、サイバーエージェントなどがインターネット企業として生き抜き、成長発展し新たな産業の形成が期待された。
投資会社・日本アジア投資としてもベンチャーキャピタルとして、サイバーエージェント、アリババなど多くのIT投資に成功する一方、再生投資事業としてIT業界の将来のSES需要を見込みエヌヴイコミュニケーションズへの投資を実行した。
リーマンショックによる打撃
投資間もなく、リーマンショックによりシステム開発マーケットは急落、多くのSES事業者と同様、エヌヴイも新入社員を含む13人が一年以上にわたり派遣先を確保できず、急速に資金繰りが悪化した。
投資会社も上場マーケットの縮小による資金難にあり、支援を断念し、資金ショートによるデフォルト直前にA社の買収オファーを受けて、短期間のうちにM&Aが成立した。
投資会社による資本参加は、IPOかM&Aによるイグジットを目的に事業の整理、資産の整理、財務諸表の整理がなされており、買収の検討や買収後のPMIを行いやすいというメリットがある。
IT業界の経営戦略とM&A
買収後、引き続きエヌヴイの経営にあたり、IT業界における多くの事業を見分し多くのM&A事例を見てきた立場として、IT業界のM&Aの目的や失敗しないための対処策等をまとめたい。
IT業界のM&Aの目的
人材確保
システム開発マーケットは活況が続いておりSE人材不足が深刻化している一方で、高度成長期に創業したシステム開発会社の経営者は高齢となり、事業承継に困っているケースは多い。買収による人材確保と事業承継問題の解決は最もニーズが高く、多くの事例がある。
事業分野拡大
自社の事業分野にない事業領域を買収により確保し、SE、顧客、経営人材を譲り受けることにより、業務系システム開発、組み込み系システム開発、データ分析、サーバー事業、ゲーム開発など、新規分野への展開を実現。
請負事業顧客口座を確保するための買収(口座開設にかける時間を買う)
大手SIやユーザー企業と、直取引での請負事業を拡大することを目的とし、対象顧客へ買手のサービスを提供し、クロスセル、アップセルを実現。
財務上のメリット
M&Aに伴い、経営の統合、管理部門の統合により間接費用の削減が可能に。
財務上安定した企業のグループになることで銀行の個人保証の解除も同時に実現。
オフショア、ニアショア買収
開発費用軽減を目的に、オフショア、ニアショア開発会社の買収。
開発部隊の内製化
メーカーのIoT事業展開の為、システム開発をアウトソースするのではなく、自社内に開発部隊を取り込み、独自開発を推進。
失敗しないための対処策
買収により人材の流出を防ぐ
これを防ぐには、経営、人事キーパーソンとの密な連携、信頼確保が最重要。
文化の違いを融合する
買われる側のプライド、給与体系の差、退職給与引き当ての有無、 福利厚生の差等を、時間をかけて慎重に調整して行く必要がある。
買収後の品質管理保証、クレームの発生、開発後のバグ発生等を見極める
未払い労働債務の顕在化、簿外債務の顕在化、 偽装請負の存在、係争案件の顕在化等、十分な監査が必要。
顧客との信頼関係の持続
買収後、顧客への説明を十分に行うこと、あらかじめ対顧客のキーパーソンを確保(創業者、オーナーを会長、顧問などで残す)することが重要。
発行株式の100%を確保し、不明株主をなくす
一部株主不明の場合、公示催告、除権判決の手続きを要す。
次世代経営者の育成とM&A
システム開発事業の経営を安定して継続するためには、多くの開発案件と、開発委託先の確保、エンジニアの確保、事業分野の多角化などが必要となり、これら経営課題を解決する手段として、M&Aが有効である。
一方これら中長期的経営戦略においては、経営者をサポートし、事業経営を主体的に考える経営陣の育成が不可欠である。
M&Aを検討するに当たり、経営陣、あるいは経営陣候補者によるPMIチームを編成することで、経営感覚を磨き、経営責任を持った経営戦力を学ぶことができ、次世代経営者を育成することにも繋がるという副次的効果もある。
PMIチームにはM&A対象企業の財務内容を分析、買収資金の確保を検討するために財務責任者、事業内容の質と将来性などを分析し、技術部門責任者、中長期経営戦略上の適合性を分析する必要があるが、そのためには経営企画責任者を含む、少数のチーム編成が望ましい。(対象企業の秘密保持の為にも少数に限定する必要がある)
第4次産業革命
半導体技術革新によってメモリー容量が1.5年で倍の速度で拡大することをインテルの創立者の一人、ゴードンムーアの名前から「ムーアの法則」というが、一方情報通信量は六か月で倍になるという「ギルダーの法則」がある。
これはインターネットの普及がもたらす情報量の拡大の速さを示しており、さらに5Gの実用化によって、現在の通信量の100倍の速度でデータがやり取りされる時代が来ている。
18世紀の蒸気機関による第一次産業革命に続き、石油エネルギーと自動車業界を代表する大量生産をもたらした第二次産業革命、世界大戦を挟んでエレクトロニクスとコンピューターによる第三次産業革命の後、現在インターネットとAIによる情報通信技術のもたらす第四次産業革命の中にある。
インターネットによる交信は、人と人をつなぐSNSに対し、物と物、あらゆる物事をつなぐIoTの世界における交信量は膨大なボリュームとなる。
こうして蓄積されたデータ量はビッグデータとして拡大を続け、このデータを人工知能により分析、解析することで新しいビジネスが生まれ、経済成長に結び付く。この世界が第四次産業革命である。
SNSにより人の行動から発信されるデータを、プラットフォームに乗せてビジネスの開発、拡大を果たした米国のGAFAに対し、製造立国、ドイツの首相メルケル(物理学者)は強い危機感を持ち、SNSの何十倍、何百倍の規模の製造現場の情報をつなぎ、新しいビジネス展開を狙い、普及浸透を推し進めているのがIoTである。
ドイツのシーメンスやボッシュはすでに、メーカーからIoTソフト開発の企業として成長を始めている。元々、日本もドイツと同様の製造立国であり、製造現場の膨大な情報量をビッグデータとして蓄積し、AIで分析することにより、新ビジネスの成長が期待される。
これまで60社以上のM&A戦略によって成長を続ける日本電産の永守会長は、この製造業のデジタル化を明確に意識しており、今後の展開が期待される。
ドイツのボッシュと同様、自動車のデジタル化を担うデンソーはこのIoTを明確に意識し、日本M&Aセンターの仲介により、東芝情報システムへの資本参加を実現した。
日本経済は平成30年の間、バブルの後遺症に伴う停滞を続けており、このままでは第四次産業革命に乗り遅れ、米国のGAFA、中国のBATに大きく取り残される恐れもある。
日本の経営者のソフトウェアに対する理解、認識は大きく遅れているが、製造立国として、IoTで先進できるという優位性を活かし、成長に結び付けてもらいたい。
IT企業としても、顧客企業の成長戦略にIT技術を生かすための提案、ITコンサルティングが重要な役割を担っているものと思う。
令和の新時代の経営に、事業のITソリューションと、M&Aによる成長戦略が不可欠と思われる。
執筆者紹介 エヌヴイ・コミュニケーションズ株式会社 相談役 熊田恒雄 氏
1947年 東京生
1971年 横浜市立大学商学部卒
1971年 東京銀行(現三菱UFJ銀行)入行 本店営業部、新橋支店、ヒューストン、ロサンジェルス融資担当
1993年 ダラス支店長、ヒューストン支店長
1997年 理事横浜支店長
2000年 日本アジア投資会社常務、専務を経て2008年退任
2008年 エヌヴイコミュニケーションズ株式会社社長、会長を経て現相談役