【M&A小説】資本か、経営か Vol.4

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※お断り※ この小説では、当社社員は実在する人物ですが、その他の登場人物や企業名はすべて仮名あるいは架空です。

M&Aの現場で日々戦うM&Aコンサルタントの目を通して、資本と経営の間で揺れ動く売り手オーナーの機微、M&Aにおける買い手企業の意思決定の裏舞台、M&Aコンサルタントの仕事の醍醐味など、M&Aの現場のリアルを描写する連載小説。

西川の章 リベンジへの立役者

「吉川パーツの企業概要書、できたの?」

「はい、なんとか。さすがクリニカル商事の関連会社です。資料集めもスムーズでしたし、ほぼ上場会社並みに財務データも整っています」

西川は、角井が所属する部の部長で、20年以上のM&A経験を持つ実力者だ。
誰よりも働き、部下を気に掛ける姿勢は社内から信頼を置かれている。

「へえ。いいじゃない。特に、新しい部品の開発への注力具合のところ。吉川さんが、肝いりで始めた事業でしょ。ここが買い手に認めてもらえると、一気に進みそうだからね」

クリニカル商事の社内コンペに際して、角井を送り込んだのは実は西川だった。

メガバンク出身の角井は、大企業の組織がどう動くかということを、身に沁みて知っている。だから組織の動き方そのものに加えて、担当者の思惑もわかる。

角井自身はそのしがらみが窮屈になり30代半ばで銀行を辞めM&Aの世界に飛び込んできたのだが、初めて会ったときから、角井の目の奥にある確固たる意思を西川は見抜いていた。

「角井くん、今回のクリニカルの子会社切り離し案件、うちの担当として行ってきてよ」

そう指示を出したのは、あの悪夢のMBOを角井が今も引きずっていることを知っていたからだ。あの時、なんとか突破口を開こうと角井が社長に会わせようとした上司こそが、西川だった。

「えっ、僕が行くんですか?一人で?」

メガバンクは減点主義だ。失敗したら終わり、再び同じような案件を任されてリベンジなどありえない。会社の文化の違いに驚きつつも、今度こそはという強い思いに駆られる。

「・・・やらせてください。がんばります」

それから1か月後、角井はクリニカル商事の遠山を初めて訪問したのだった。

角井の章 経営者としての通信簿

角井が作った企業概要書を、吉川に初めて確認してもらう日が来た。

例によって社長室だ。角井は他の案件と同じように、企業概要書をどう作ったのかを説明していく。意外と、自分の会社でも客観的にまとめられると新たな発見があるものだ。

「吉川パーツの強みは、進化の早い医療機器に対して、精緻な部品をすばやく作れることですよね。なるべく開腹手術をしないで処置できるように医療機器も進化し続けていますが、どうやったら人体に負担が少なくできるかを部品単位で常に研究されています。その研究者の採用も強化していますし、現場の知見を集めるリサーチにも積極的です。その結果が製品に表れていると思います」

吉川にヒアリングした内容と、角井なりに調べた強みや特徴などの企業概要が、次々に可視化されて資料にまとめられている。業界におけるポジショニング図まである。

あんなに根掘り葉掘り聞いてきたのは、このためだったのかと吉川も初めて納得する。

「2017年3月期の財務内容で、営業外費用が例年より膨らんでいます。少し補足したほうがいいので、その部分についての資料を今日は追加でいただきたいと思っています」

しかし吉川はまじまじと企業概要書を見つめたまま、生返事しかしない。

角井が顔を上げると、吉川はひとこと、

「これ、俺ももらっていいの?」

「・・・? ええ、もちろんかまいませんよ、全部チェックしていただきたいですし」

どこか上機嫌な吉川を不思議そうに見ていると、吉川が続けた。

「なんか、経営者としての通信簿つけてもらったみたいでさ。素直にうれしいんだよね。自分では、今までがんばってきたことはわかってるけど、経営力そのものの評価なんて誰からもしてもらったことなかったから、ちょっと感慨深くて」

経営者としての通信簿。

そんな風に受け取る経営者もいるのか、と角井自身も新たな発見をした日になった。

角井の章 チェンジオブコントロール

「いいえ、ダメです。この会社の存続にかかわります」

吉川と二人三脚で概要書を作り終えた角井に、息つく間もなく次の壁が立ちはだかっていた。

「引き続き製品は供給できます。今回のM&Aは吉川パーツの発展を目指すものであり、決して業績が悪いとかそういうことではありません。・・・はい、ご検討ください。今日のところはこれで」

ため息とともに電話を切り、スマートフォンの黒い画面に映った自分の顔とにらみあう。

角井の電話の相手は、吉川パーツの取引先の社長だ。

M&Aの話を真摯に説明したにもかかわらず、取引内容を見直したいと言ってきたのだ。

チェンジオブコントロール条項といって、経営権の移動が生じた場合に契約内容に制限がかかったり解除することができたりする条項が入っていることがある。

通常、M&Aの話を成立前に外部に漏らすことはない。ただし、取引先が特殊でM&Aの肝になる場合、このまま取引を続けてもらえるよう例外的に先に株主が変わる可能性について開示することがある。今回の場合も関係者で話し合った末、開示することになった。

株主がクリニカル商事であることの安心感は絶大だ。吉川パーツの取引先が、株主が変わることに対して不安感を抱くのは無理もない。

「ねえ角井さん、そういう会社が一つくらい出たってしょうがないんじゃないの?誰だってわからないことに対するリスクは嫌うしさ。100%全部の会社が取引を続けてくれるかは、わからないでしょ」

概要書の完成以降、吉川は時に角井のなだめ役になっていた。

「いえ。主要取引先一つでも欠けると企業価値を毀損してしまうことにつながります。一度でも妥協したら、僕が最初に吉川社長のご希望に沿うとお約束した信念に反することになる。ここが、僕の正念場です」

M&Aコンサルタントとしての価値とは何か。

いい相手を見つけることか?ディールをつつがなくまとめることか?価格交渉でいい金額を引き出すことか?どれも重要だが、これらは「価値」ではなく、「当然の役務」だ。

自分でもなく、金融機関でもなく、ましてや自分の会社のためでもなく、「顧客」の立場で価値判断をし、そのうえで自分の信念に従って行動できるか。
コンサルタントの一つ一つの行動が、そのM&Aの未来を変える。

最初に西川が見抜いた通り、角井に宿る確固たる意思がその表層に現れた一瞬だった。

Vol.5につづく

著者

M&A マガジン編集部

M&A マガジン編集部

日本M&Aセンター

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