【M&A小説】資本か、経営か Vol.5

M&A全般
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※お断り※ この小説では、当社社員は実在する人物ですが、その他の登場人物や企業名はすべて仮名あるいは架空です。

M&Aの現場で日々戦うM&Aコンサルタントの目を通して、資本と経営の間で揺れ動く売り手オーナーの機微、M&Aにおける買い手企業の意思決定の裏舞台、M&Aコンサルタントの仕事の醍醐味など、M&Aの現場のリアルを描写する連載小説。

遠山の章 買い手はどこに

「俺の会社を売り飛ばそうってのは、あんたか」

クリニカル商事の遠山は、この吉川の言葉を角井より先に浴びていた。

会社として必要なことを伝えたのがたまたま自分だっただけなのだが、あれ以来この言葉は、のどの奥にひっかかった魚の骨のように、時折、遠山の思考を遮断する。

吉川パーツの売却が決まったものの、吉川のプライドを保ち、シナジーのある相手先の企業がどこにいるのか、遠山には具体的なイメージが湧かなかった。

本来なら、最もふさわしい相手を探す努力は、切り離しを決定した自分たちがすべきとも思える。だが、そんな時間もノウハウもない。

「角井さん、今回は交渉そのものよりも、いい相手探しに主眼を置いています」

今回、アドバイザーに一番期待していることは何か、社内コンペに参加した全アドバイザーへ伝えた。業種もエリアも自由。吉川が納得する相手を広く探せるアドバイザリー会社に任せたかった。

だが大手商社としては、M&Aのアドバイザーは、FA(フィナンシャルアドバイザー)中心の大手アドバイザーに任せることが通常だ。名だたる外資系や大手の銀行、証券会社、監査法人系のアドバイザーが並ぶ社内コンペのリストの中で、日本M&Aセンターは異質な存在だった。

「中小に強いのは知ってるけどさ。日本M&Aセンターって我々のアドバイザーできるの?大丈夫?」

社内の遠山の周りでも、そんな声が少なくなかった。

野球が趣味の遠山は、野球の試合の監督になった気持ちでこの状況を見ていた。

角井は、レギュラーにはまだ遠いが、ここぞという場面で投入したら爆発するかもしれないルーキーだ。実際、代打者に抜擢するようなものだな、と感じていた。

それに、後釜人事で出向させている他の子会社の雇われ社長と吉川とでは、毛色が全く違う。

中小企業の創業オーナー社長のハンドリングに長けている点でも、角井に期待していた。

「頼むぞ、ルーキー!」それが遠山の正直な気持ちだった。

錦織の章 スピードもシナジーも 株主への説明責任

「せやから。なんで今、この会社をM&Aせなあかんの?」

清原メディカルの大阪本社。その会議室で、取締役の錦織は吉川パーツをM&Aで譲り受ける話が持ち込まれたことを社長以下数人の役員に報告していた。M&Aの実施は当たり前になってきているが、当然個別事情によって役員陣の取り組み姿勢は変わってくる。

「お言葉ですけど、吉川パーツのような会社がM&A市場に出てくること自体、めったにないんです。これを逃したら、譲り受けられるチャンスはそもそもめぐって来へんのです」

他の役員陣も、仲介会社から案件が持ち込まれたからといって、手放しに賛成、とはならない。

「そんなもん、たまたま持ち込まれたからって無下に飛びつくことないんやないか。具体的なシナジーがあるのかないのか、株主にも説明責任っちゅうもんがあるやろ」

「そんなことを言うてたら、いい案件全部、競合に取られてしまいます。今のM&A市場は、意思決定の速さが重要なんです。何もせんことで逃すリスクの方が大きいんとちがいますか」

それ以上の議論を、社長の清原が手で遮る。

「確かにスピードは大事やし、株主への説明も必要や。両方の言い分とも正しい」

「錦織君。次の取締役会は3日後や。そこで役員全員でビットに参加するかを決定するから、みんなが納得できるように、具体的に示せる資料を準備してきて」

「わかりました」

通常M&Aは、経営企画が担当することが多い。クリニカル商事の遠山も、清原メディカルの錦織も同じ事業会社の経営企画担当だ。売り手側になるか買い手側になるかで仕事のやり方は正反対になる。

もちろん多くの場合が買い手としての実務だが、今回の役回りが逆になることもある。当事者としてM&A実務にかかわることができ、仲介者であるM&Aコンサルタントの同志となる職種だ。

冨士の章 未来を将来に

「冨士さん。こんなん、3日でできるんやろか」

錦織から連絡を受けた冨士は、3日後の清原メディカルの取締役会に向けて錦織と一緒にプレゼン資料を作成することになった。具体的なシナジー分析、M&Aを実施した場合の概算コスト、その投資回収期間の見通し、その後の利益貢献率などをまとめた、将来設計の資料となる。

「そんなこと言わんと。一緒にがんばりましょう!他の役員の皆さんがビビるくらいの資料、作ってやりましょうよ」

M&Aコンサルタントが、買い手企業から取締役会用の資料作成を相談されることも、かなりの頻度で起こる。冨士も、初めての経験ではなかった。

特に買い手企業が初めてのM&Aの場合、他の役員やステークホルダーに対して納得してもらう必要がある。「その企業」が「その企業」を買った場合のメリットを、明確に買い手自身が認識する必要があるためだ。
これも、買い手企業担当のM&Aコンサルタントとして重要な仕事になっている。

「この時点で、これがいい出会いだから急ぐべき、ということを社内に訴えてもなんの意味もありません。吉川パーツがいることで“未来”が“将来”になる、ということを具体的に落とし込むんです」

「ふーん。吉川パーツが自分たちにジョインしたら、ワクワクすることがたくさん具現化できる。先が見えない未来ではなく、具体的な将来が増えるってことか。なんか話してたら楽しくなってきたな。そんなんやったらいくらでも出てくるわ」

そもそも錦織は経営企画担当、ちょっとしたきっかけでビジネスのアイディアはいくらでも湧いてくる。自分の中から湧き上がるパッションで作った資料のプレゼンで、熱がこもらないはずがない。

「冨士さん。取締役会、終わりました。全員一致でM&Aにゴーサインが出ました!」

3日後、意気揚々と電話してきた錦織に、冨士も安堵する。こうして、清原メディカルも吉川パーツ買収に向けて社内のベクトルが同じ方向へ定まった。

Vol.6につづく

著者

M&A マガジン編集部

M&A マガジン編集部

日本M&Aセンター

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