【M&A小説】資本か、経営か Vol.6
⽬次
- 1. 著者
※お断り※ この小説では、当社社員は実在する人物ですが、その他の登場人物や企業名はすべて仮名あるいは架空です。
M&Aの現場で日々戦うM&Aコンサルタントの目を通して、資本と経営の間で揺れ動く売り手オーナーの機微、M&Aにおける買い手企業の意思決定の裏舞台、M&Aコンサルタントの仕事の醍醐味など、M&Aの現場のリアルを描写する連載小説。
吉川の章 トップ面談
清原メディカルの錦織と冨士が奔走していた間に、角井と取引先企業の交渉の結果も出ていた。取引先との契約内容は、今後株主が変わったとしても、今まで通りで変わらないことになった。
「まったく、角井さんの粘り交渉には参ったよ。俺がもういいって折れてるのにさ、絶対曲げないんだもん。でも結果として、それがうちの会社の価値を守ってくれたわけだから。感謝してるよ」
苦笑しながら話す吉川の声をしり目に、角井は黙々と次の準備を進めていた。
今日から2日間、日本M&Aセンターの応接室で9社も出てきた相手企業の経営陣たちとの「トップ面談」が実施されるのだ。
よく言えば「お見合い」、悪く言えばお互いに「品定め」の場だ。
百戦錬磨の社長たちとの面談を前に、控室で角井に軽口をいわざるを得ないくらい、吉川も緊張していたのだ。
午後一番から始まったにもかかわらず、5社と面談した後となると、外はもう暗い。
「お疲れさまでした。ではお先に」
クリニカルの遠山が帰っていったあとの会議室で、角井は吉川に今日の率直な感想を聞く。
「うーん、どうだろう。半分終わったけど、みんなどこまで本気で興味持ってるのかな」
「情報提供料をお支払いいただいてのトップ面談ですから、当然、皆さん真剣です」
「そうだよねぇ。わかってるんだけどさ、いまいちピンと来なくて」
「焦らなくて大丈夫ですよ。必ず納得のいく相手が現れます。明日の面談の一番手は、清原メディカル様です」
清原の章 運命の相手
「失礼します。清原メディカルの代表清原です」
「おはようございます。今日はありがとうございます」
トップ面談の2日目。今日は4社と面談だが、吉川はもう慣れたものだ。
「吉川パーツのビジネス、とても興味深く拝見しました。一つ気になった点があります。胃カメラに関する部品開発の事業。これは、どういった経緯で始められたのですか?」
清原の言葉は歯切れがよい。
じつは、清原は初めてのM&Aによるトップ面談に臨んでいる。
日本M&Aセンターの冨士からは、事前に念を押されていた。
「トップ面談は、会社のアラを探す場ではありませんから、そのおつもりで」
清原は、吉川による吉川パーツの創業の経緯やこれまでの実績など、すべてを頭に入れて臨んだ。会社の歴史や理念を直接聞き、その会社を買い取ることでワクワクするかどうか、相手の社長はそのワクワクを共有するパートナーとしてふさわしい人物かどうか、を見極める場なのだ。
今回錦織が作った取締役会資料をもとに検討し、書類上の会社同士のシナジーとしては申し分ない。
あとは、吉川が一緒にやっていける人物かどうかを判断すればいい。
「ありがとうございました。では、こちらで終了とさせていただきます」
「では、また」
清原を送り出し、顔を上げた角井が横にいる吉川をふと見ると、その横顔は自信ありげだ。
資本と経営のはざまで翻弄された経営者は、これから一緒に将来を築いていく相手を、どうやら見定めたようだ。
吉川の章 条件交渉
トップ面談が終わった1週間後、角井は各社との条件交渉のための資料作りのために奔走する吉川パーツの現場にいた。
「吉川社長、報酬上がるらしいですよ。俺の給料も上がらねえかなー」
資料をそろえながらため息交じりにつぶやくのは、吉川パーツの役員、服部。
服部は、金属部品メーカーの技術者を経て吉川パーツに入社し、その技術手腕を買われて数年で役員にまで抜擢された人物だ。
「ぜいたく言うなよ。社長がその価値をかわれてるってことは、そういう社長の会社にいる俺たちの価値も認めてくれてるっていうふうに考えたらいいじゃない」
CFOである高木はそう答えたものの、服部の気持ちもわかる。
技術者あがりの服部と違い、高木は創業当時の吉川にほれ込み、右腕として長年経理を勤めてきた吉川の腹心である。
M&Aが決まって以来、角井からの資料徴求や買い手候補からの質問に対して、具体的な資料をそろえ、実務に対応をしてきたのはこの二人だ。
通常、社長以外の役員や従業員には秘密裏に進むM&Aだが、この二人には当初の段階から吉川によって情報開示されていた。
そんな長い期間の疲れもあってか資料にまみれてつい漏れ出た服部の心の声に、高木は逡巡する。
「角井さん、ちょっと話があるんだけど」
「給与の件ですか?」
「そう。ヤツもああいってるし、やっぱり給与を上げてあげたい気持ちもある。そういう希望までは、さすがに通らないかな?」
「伝えてみます」
この時点で2回目のビットを終え、離脱も含めると候補先企業は3社に絞られていた。
すでにいろんな条件をのんでもらっている。そのうえ、役員報酬までアップしろというのはかなり難しい。無理だろうと思いつつ、仲介者としては相手に伝えざるを得ない。
角井はダメ元で、3社に伝えることになった。