【M&A小説】資本か、経営か Vol.7(最終回)

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※お断り※ この小説では、当社社員は実在する人物ですが、その他の登場人物や企業名はすべて仮名あるいは架空です。

M&Aの現場で日々戦うM&Aコンサルタントの目を通して、資本と経営の間で揺れ動く売り手オーナーの機微、M&Aにおける買い手企業の意思決定の裏舞台、M&Aコンサルタントの仕事の醍醐味など、M&Aの現場のリアルを描写する連載小説。

吉川の章 決断のとき

「え、いいんですか?」

「かまいません。これから一緒にやっていく上では気持ちよく働いてもらいたいですから。役員の皆さん全員、報酬アップしますよ」

役員報酬のアップ要求に対し、すんなりOKの回答を出してきたのは、吉川が最初から気に入っていた清原メディカルだった。

角井もこれには驚いた。常識外れと思われるのを覚悟での打診だったが、買い手の懐の深さとは、ここまでの覚悟を見せるものなのか。

自分が気に入った会社が一番いい回答をくれたことで、吉川はこの上なく上機嫌だ。

M&A検討が始まって以来、会社の書類に埋もれてきた高木と服部も、手放しで喜んでいる。

そんな二人を見た吉川が、ついに角井に宣言した。

「会社の価値でなく給与をアップしてくれるっていうのは、将来を俺たちと一緒に作っていきたいっていう意思表示でしょ。もうさ、ここまで俺たちのこと考えてくれているんだから、清原メディカルで、いこうよ」

吉川が希望する相手を見つけ、M&Aを実行する。

角井の思いが両社を結び、同時に昔の自分へのリベンジを果たした瞬間だった。

M&Aは、人と人とがつなぐ糸のようなもの。
最後は、「つなぐ想い」が人を決断させ、時代を乗り越えていく。

決して、目に見える価値だけでは、歴史は紡げないのだ。

遠山の章 場外ホームラン

「ええ、そうなんです。本日付けで成約しました。・・・はい、ありがとうございます。別件の子会社譲渡の件については、また検討が終わり次第、ご連絡します。では」

クリニカル商事本社。
吉川パーツと清原メディカルのM&Aが成約し、M&A情報が開示された。
遠山は、すでに別のM&Aに追われていた。先ほどの電話は、クリニカルのM&Aでは常連の大手外資系FA会社の担当者である。数か月後に向けて成約予定のM&Aに、アドバイザーとして入ってもらっている。

「正直、この買い手を見つけてこの価格条件を引き出すのは、自分たちでは無理でした」

この大手外資系FA会社の担当者には、最後に電話口でこう言われた。

「社内コンペで落とされたときはほんとに悔しくて。正直、日本M&Aセンターのお手並み拝見って冷めた目で見ていました。でも今日このリリースを見て、日本M&Aセンターを見直しました。遠山さんの選択は、正しかった」

清原メディカルからのリリースを見ながら、遠山は感慨にふける。約1年、すべての関係者を巻き込み、これだけのドラマがありながら、世間に出るのはこの無機質な6枚の文書だけだ。だが、日々各社から発表されるすべてのM&Aリリースの裏側には、遠山たちと同じようなドラマが必ずある。この文書からそのドラマを想像できるのは、M&Aに携わった経験がある者たちだけの特権だ。

??角井さん。代打での起用でしたけど、見事に場外ホームラン打ってくれましたね。

現場を知る仲間からの思いがけない賛辞に、いつもは冷静な遠山も少し心が躍っていた。

携帯にメッセージが入った音に気付き画面を見ると、吉川からのメッセージだ。

「遠山さん、早く来なよ。こっちはもうお店に着いちゃってるからね」

今回の最終局面以来、吉川とのわだかまりは解消していた。

今夜は深酒決まり、だな。
心の中でそうつぶやきつつ、遠山は上着を手に取った。

エピローグ

資本か、経営か。
この問いにずっと対峙してきた1年だった。
悪夢のMBOのトラウマを克服するためにも、このM&Aの成約まで吉川のことを一番に考えてきた角井がたどり着いた答え。
それは、資本を持っているから、経営しているから、という意識を持つこと自体が無意味、ということだった。

株を持っていない関係者は、何も社長だけではない。社員も、取引先も含めた関係者全員も。みんなにとってのメリットは、どこにあるのか。どうすれば生まれるのか。
その最大公約数である答えをいち早く見つけ出し、そこに向けて関係者全員のベクトルを合わせ、船頭として導いていく。
この能力こそが、M&Aコンサルタントの、自分の価値なのだとあらためて思う。
資本と経営の対立構造だけに目を奪われていては、本質は見えない。

「Next!」

インドネシアの空港で入国管理官の声がとどろき、角井は我に返る。

角井が今手掛けているのは、昨今活発になっている東南アジアでの後継者不在企業のM&Aだ。今日はジャカルタの企業と面談である。
シンガポール・オフィスができてから、会社としてインドネシア、ベトナムと海外拠点を増やし、海外との垣根が下がってきた。今後の日本の産業構造を考えると、海外進出は考慮せざるを得ない選択肢になってきているのだ。海外でのM&A実績も増え、最近は日本で活動をしていても、昔より頻繁に海外出張が発生する。

次は、どんな経営者と出会えるだろうか。
M&Aの醍醐味の一つは、経営者との出会いと絆の醸成にある。
だから、やめられない。

「Mr. Kadoi from Nihon M&A?」

「Yes」

自分の名前のプレートを持つドライバーの案内に従い、客先へと急ぐ。
一つの答えにたどり着いた角井は、また次の答えを見つけるため、国境をも越えていく。

END

著者

M&A マガジン編集部

M&A マガジン編集部

日本M&Aセンター

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