【調剤薬局業界再編M&A】日本調剤のM&Aから学ぶ
⽬次
- 1. あらゆる面で業界をリードする日本調剤
- 1-1. 医薬分業に強い思いを抱き札幌で創業
- 1-2. より良いサービス提供のための大型店舗の推進
- 1-3. M&Aを活用しながら未病・予防の取り組みを強化する
- 2. 店舗規模と質を重視した基準の下で、M&Aを実施する
- 2-1. M&Aでグループとなった水野薬局のシステムを採用
- 2-2. 店舗数よりも内容・収益性を追求したM&A
- 2-3. 著者
あらゆる面で業界をリードする日本調剤
医薬分業に強い思いを抱き札幌で創業
医薬分業元年は1974年。それから間もなくして、「医薬分業」への強い思いで1980年に創業した日本調剤。
日本調剤株式会社三津原庸介社長は、「創業当時はマンツーマン出店が主で、メディカルセンター型(医療モール型)で医薬分業に取り組んできました。その後、大型病院の門前にも多くの店を構える形となり、店舗数もまもなく600店舗を超える。今後は面分業の時代に合わせた店舗展開も進めていく方針」といいます。
日本調剤IR資料より
より良いサービス提供のための大型店舗の推進
三津原社長は大型店舗を増やしている点について、「在宅や健康サポート機能など、薬局に求められるものが増えている中で、一定規模を確保した大型店舗でないと運営が難しくなっていると考えている」として、こう例示します。
「例えば、24時間対応を行う場合に女性の薬剤師一名で対応するのは現実的ではない。店舗を大きくし、薬剤師の人数を増やして回せるようにしていかないと、そうした新しい取り組みのためのリソースが厳しい。1店舗の規模が大きければローテーションもできる」
効率化のために店舗を大きくしているのではなく、患者により良いサービスを提供できる体制を求めた結果、一定規模の店舗の大きさと人員数を確保することに行きついたのが日本調剤です。
しかし、「大型店舗はコストがかかるのも事実で、これまでも医療モール型などはなるべく店舗面積を広く確保するようにしてきたが、固定費などかなり苦しい部分もあった」と三津原社長は言います。
M&Aを活用しながら未病・予防の取り組みを強化する
大型門前薬局を安定的に出店する一方で、メディカルセンター型(医療モール型)薬局と面対応薬局の機能を兼ね備えたハイブリッド型薬局の出店を積極化。
今後も、健康サポート機能等の付加価値のためにも、ある程度の店舗面積が必要と考えていることから、医療モール型や面薬局が中心となります。出店の基本方針は自力出店だが、M&A市場の動向に応じてM&Aも活用し、店舗規模と質を重視したM&A基準の下でM&Aを実施する、としています。
2030年に向け、高齢者人口の増加、分業の進展、医療の高度化など業界を取り巻く外部環境が大きく変化している中で、患者さま志向の薬局づくり、経営の効率化を進め、必要とされる薬局となることで調剤薬局事業を拡大していく計画です。
日本調剤IR資料より
店舗規模と質を重視した基準の下で、M&Aを実施する
M&Aでグループとなった水野薬局のシステムを採用
医療安全システムとして、日本調剤のグループ会社であり、日本初の調剤薬局である”水野薬局”が開発した、調剤レコーダー「調レコ」を、日本調剤の一部店舗でも導入を開始しました。
今後は大規模店舗を中心に配置の拡大を予定しています。「調レコ」は、処方せんの受付から薬の交付、服薬説明までの調剤過程を、複数のカメラによる高精細な画像で記録するシステムです。
「水野薬局は機械等を非常に大切に長く使っており、そうした姿勢に学ぶところがあった。クオリティマネジメントを追求していた水野薬局と日本調剤はシナジーがあった」と三津原専務は言います。
水野薬局は、1909年に当時の東京帝国大学(現在の東京大学)医学部前に「水野薬局」を開局し、1964年に日本で初めての調剤薬局である「水野調剤薬局」を開局しました。歴史ある薬局の伝統と技術を大切に譲受け、発展させています。
店舗数よりも内容・収益性を追求したM&A
日本調剤は、売上高約28億円の前述の水野薬局の買収に、約38億円を費やしました。
同業大手が平均すると1店舗あたり売上1億円~2億円程度の調剤薬局の買収を中心とするのに対し、日本調剤の目線は一段階高いものとなっています。
国は薬局に対して、服薬指導など医療機関としての機能向上を求めています。
日本調剤は1店当たりの収益性重視にカジを切り、慢性疾患の患者がリピーターになるようスマートフォンで管理する「電子お薬手帳」などの取り組みを急いでいます。