[M&A事例]Vol.148 会社を成長させるため譲渡を決断。社長を継続し経営パートナーを得る
東北鈴木の2代目社長は、事業拡大を目指すものの方向性に悩んでいました。解決する手段の選択肢としてM&Aを考え、2024年3月に県外の会社に譲渡を行いました。
譲渡企業情報
譲受企業情報
※写真提供(調印式の写真以外):自分史・社史制作 FTサービス金英堂商事
※M&A実行当時の情報
社長を入れて従業員は6人という小さな会社ながらも、顧客視点に立ち、よりよい住宅を適正価格で提供することに徹し、地域に信頼を築いてきた北海道石狩市のリフォーム・新築工事M・G建装。創業者である松本昭文社長が、異業種であるコープさっぽろとのM&Aを決意した、その思いといま————。
譲渡企業 株式会社M・G建装 松本様:建設の世界に入り、早いもので40数年が過ぎました。23歳で独立し、40歳で法人を立ち上げ、小さいながらも北海道の建設業界では知られる会社に育てることができました。 法人設立からはずっと外壁専門でやっていたのですが、リーマンショック(2008年)が大きな転機になりました。 建設業界でも「新築は売れない」「受注も取れない」といった話が出てくるようになりました。そうした声を聞くなかで、「業界が低迷しているなら、俺が道を切り拓いてやる」という “漢気”のような気持ちで、新築とリフォームの分野に進出しました。
お客様との信頼を築けば絶対に仕事はくると、お客様本位の家づくりに徹してきました。豪華なモデルハウスや展示場も建てず、立派な事務所も持たずにきました。それらの経費は結局、お客様の建築費に上乗せされるのです。私たちは地域に根ざした住宅のプロとして、適正な価格で家づくりをしていこうという姿勢を貫いてきました。その結果、営業をしなくても、お客様の紹介で次々と仕事を広げていくことができたのです。
55歳を過ぎた頃からでしょうか。漠然と事業の永続ということを考え始めました。 年齢を重ねるごとに病気のリスクが高くなります。万一、自分が倒れたら従業員たちやその家族をどうやって守っていけばいいのか。そうしたことを考えるようになったのです。 父は昆布漁師でした。私は、小学生時代から漁を手伝っていて、中学を卒業すると父に自分も漁師になりたいと相談しました。父は言下に「漁師にだけは絶対にさせない」と言うのです。いまになって、そのときの父の気持ちがわかるようになりました。 私も息子には会社を継がそうとはまったく思いませんでした。やはり商売は大変です。その大変さはやった人間でしかわかりません。自分がしてきた苦労を息子にはさせたくないというのが正直な気持ちでした。父親も同じ気持ちでいたのに違いないと思うのです。 幹部の誰かに後を任せることも考えました。しかし、幹部社員はみんな私と同年輩です。これも難しいと思いました。
何かいい方法はないだろうかと考えていたとき、M&Aという言葉を知りました。どういうものなのか、本やネットを通してM&Aについていろいろと勉強しました。そして弊社のように後継者を育ててこなかった会社にとっては実にいい選択肢だと思ったのです。 規模の大きな会社に譲渡し、その傘下に入れば将来的な憂いもなくなり、安心できる。そんな手応えを持ったわけです。 しかし、実際に動くのはまだ早いと考えていた矢先、新型コロナウイルスの大流行が始まりました。これはうかうかしてはいられないと、真剣にM&Aに向けて動こうと思ったのです。つまり、コロナが私の背中を押したというわけです。
具体的に動こうと思っても、何から始めればいいのかわかりません。まずはメインバンクの北洋銀行に話をしてみようと連絡を取りました。すぐに北洋銀行の担当者が、2人の青年と一緒に訪ねてきてくれました。 同行のグループ会社の一つで、M&Aアドバイザリー業務を行う北海道共創パートナーズの谷川さんと、その提携先の日本M&Aセンターの山川さんでした。 3人が非常にわかりやすく、かつ真摯な姿勢でM&Aについて話をしてくれ、いろいろな助言もしてくれました。その話し振りや態度を見ていて任せて大丈夫だと思いました。 その場で提携仲介契約を結んだのですが、その後もやりとりをする度に、自分の決断は正しかったと思ったものでした。 なかでも日本M&Aセンターの山川さんのレスポンスの速さに驚きました。何か相談したり、頼みごとをしても、素早く返事をくれるのです。速さばかりではなく、レスポンスの中味はいつも要を得たものでした。 着手からM&A成立まで8カ月という短期間だったということが、その仕事の信頼度を証明していると思います。
M&Aに対して、私が出した条件は2つだけでした。今後の事業の発展と社員たちの将来の安定です。「M・G建装」という社名を残すというこだわりもありませんでした。 紹介していただいた1社目は燃料関連の企業でした。同社はコロナ禍でM&Aどころではなくなったと辞退されました。2社目は建築会社でしたが、現場が札幌市内から遠くなる可能性があり、社員たちが嫌がるだろうと今度は私のほうから辞退しました。 3社目に紹介いただいたのが、コープさっぽろでした。最初、 私は“なぜコープさんが?”と不思議に思いました。まったく業界が違っていたからです。しかし、道内に100以上の店舗を持ち、毎日テレビでCMが流れる有名な企業です。このグループ企業になれば社員たちは安心できるに違いないと思い、先方とお会いすることにしたのです。
コープさっぽろからは、たまに店舗の内装などの仕事が入るかもしれないが、基本はこれまで通りの仕事を続けてもらいたい、という話をいただきました。同社では、老朽化した店舗の補修工事や新店舗建設を担う会社を探していたのです。 お会いした米内常務理事は不思議な魅力のある人物で、いろいろ話をするなかで、この人なら信頼できると思いました。弊社はずっと無借金経営だったこともあり、その後のコープ側の会計的な審査もクリアでき、正式に資本提携の申し入れがありました。 そのときお会いした大見理事長も人間的な器の大きさを感じさせる気さくな方で、コープさっぽろのグループに入れてよかったと思いました。大見理事長からは、会社名は残そうということと、私にも最低4年は社長を続けてほしいという申し出をいただきました。 社員たちにそのことを伝えると、みんなはいままでと変わらないという安心感と、将来的な発展と安定を確信したようです。
M&Aをして以来、仕事は増え続け、私自身も忙しい日常を送るようになりました。米内常務理事も「人を増やすから」と言ってくださっているのですが、建設業界は人手不足でなかなか人材が集まりません。いまの課題はそのことだけです。
私がM&Aを考え始めたのは、すでに述べたように加齢による健康への不安でした。 不思議なことに、今年(22年)の2月、60歳になってすぐに「強直性脊髄炎」という難病を発症したのです。背中や腰が激しく痛み、悪くすると骨が固まっていく病気です。治療法がないので、悪化させないようにうまく病気とつきあっていくしかないという難病です。 この病気の診断を受けたとき、私はつくづくM&Aをしておいてよかったと思いました。万一、私が動けなくなっても会社は続いていくのですから。 「経験に勝る宝はない」と言います。病気になったことを通して、私が学んだのは先々の用心の大切さです。 60歳、70歳になったときに、自分は、自社は、いったいどうなっているのか。そういう将来の予想を立てていないといけない。その上で、後継者を育てておくなら育てる、M&Aで会社の次を考えるならその準備をしておく、そうしたことがいかに大事なのか、ということです。 M&Aについても、私は自分の体験を通して事業承継の有意義な選択肢の一つだと言えると思っています。
東北鈴木の2代目社長は、事業拡大を目指すものの方向性に悩んでいました。解決する手段の選択肢としてM&Aを考え、2024年3月に県外の会社に譲渡を行いました。
菓子・珍味の製造販売を行う譲受け企業はM&Aで成長を加速させ海外進出も果たしました。成長にドライブをかける原点となった1社目のPMI成功について伺いました。
沖縄県で防水工事業を手がけるヤマト防水工業は、10年後の譲渡を見据え準備を始めたところ、想定より早くにお相手が見つかりました。その経緯やM&A後について伺いました。
まずは無料で
ご相談ください。
「自分でもできる?」「従業員にどう言えば?」 そんな不安があるのは当たり前です。お気軽にご相談ください。
金融提携事業部 チーフ 山川 翼
2020年10月のご成約以降も、ご両社様とお会いするたびに、双方から「今回の話は本当に良いご縁だった」とのお話を頂いており、担当としてこれ以上の喜びはないと感じております。今回の資本業務提携はM・G建装様の事業承継の課題を解決すると同時に、ご両社様それぞれの強みが大きな相乗効果を生み出す素晴らしいご縁でした。今後も引き続き、ご両社の更なるご発展をお祈りいたします。