[M&A事例]Vol.133 「良い仕事をしたい」――。2社譲り受け生き残りを図る創業75年の老舗樹脂素材製品メーカー
樹脂素材製品メーカーのカツロンは、1年半で2社を譲り受けました。元々成長戦略にはなかったM&Aをなぜ行ったのか、M&Aの目的と現在について伺いました。
譲渡企業情報
譲受企業情報
※M&A実行当時の情報
有限会社マークは、社長の髙山博之さんが1994年に設立した従業員数4名のシール印刷会社です。主力は世界的に人気のあるゲーム機に貼るシールの製造。高い品質と信用がなければ取引できませんが、髙山社長の確かな経営で受注を続けてきました。創業以来、丁寧に大切に育ててきた同社を今回、なぜM&Aで他社に譲渡しようと決意されたのか。そこには経営者として感じてきた苦悩がありました。
34歳で独立。ニッチな分野に特化し、 受注を継続的に獲得
髙山様: もともと印刷会社で営業をしていました。従業員50名ほどの小さな会社でしたから、業務ごとに課が分かれているわけでもありません。とにかくいただいた仕事をきちんと納めたいという一心で、仕入れから値決め、内職の手配と、残業も休みも関係なく働きました。その後、当時の取引先からゲームメーカーのラベル印刷の仕事をいただいたのをきっかけに、私は同年代のオペレーターとともに独立しました。34歳のことです。
髙山様: 前述の1社と当時担当していたもう1社の、大手2社から継続して仕事をいただくことができました。ありがたかったですね。ただ、機械を揃えるなどの設備投資には苦労しました。それまでは普通の会社員でしたから、貯金もありません。家のローンもありました。 まずは1991年に個人で創業しましたから、仕事を断るということが嫌でお声掛けいただいたものは全部引き受けてきました。食品メーカーや自動車関係、家電関係など幅広く手掛ける中で、品質を高めたり、対応力を磨いてきました。その後、ゲームの機器やソフトに貼り付けるような小さなラベルのシール印刷のお話をいただいたのを機に、この仕事に一本化しました。なかなか細かい仕事で、競合の大手や中堅企業が嫌がるようなニッチなところに集中して取り組むことで、安定して受注をいただくことができました。
子どもに継がせることは考えていなかったが 社員からも断られ、M&Aを検討
髙山様: 子どもに継がせることは最初から考えていませんでした。資金繰りの苦労をさせたくないとの思いがずっとあったんです。息子には常々、「家は継がなくていい。学校は出してやるから、大企業に就職するか公務員になりなさい」と言っていたほどです。だから、事業承継については早い段階から考えていました。
髙山様: まずは創業時から右腕として一緒に働いてきた社員に継いでもらおうと思いました。当社では月に一度、手渡しで給料を渡したあと会食するのが恒例でした。その時に「マークを継いでくれないか?」と話を持ち掛けたんです。しかし、「いや、経営者の度量もないし、継ぐためのお金もないですから……」と断られてしまいました。そこで、M&Aを考えるようになりました。
髙山様: 特に勉強していたわけでもありませんが、悪いイメージはまったくありませんでした。うちのような1億ちょっとの売り上げ規模の会社だったら、20~30億くらいの売り上げ規模の会社が相手になるだろう。相手も同業種にこだわっていませんでしたから、買い手も見つかるだろうと漠然と思っていました。ただ、業績が良くなければ良い条件で成約できないでしょうから、決算書がいいタイミングでとは考えていました。最初は取引先にお声掛けさせてもらったんです。しかし、お話は進みませんでした。
3期連続の好決算に、 「マークを残すなら、今がタイミングや!」
髙山様: 実は、この10年で2度、命の危機に直面したんです。最初は趣味のレーシングカートのレース中に事故を起こしまして、脊髄を痛めました。その4・5年後、リハビリに励んでいるときに今度は脳梗塞で倒れました。発見が早かったために助かりましたが、この時に事業承継に向けて真剣に取り組もうと決意しました。というのも、当時は仕事が安い海外に流れ出していた上に、借り入れもありましたから、資金繰りの心配は相当なものでした。さらに当時は子供2人が大学生で、一番お金が掛かる時期でもありました。 幸いだったのは、ちょうどこの頃に取引先のゲーム機が世界的にヒットしまして、当社も3期連続で良い決算が出せていました。「マークを残していくには、今がタイミングや!」と思いました。
髙山様: 顧問税理士の先生に相談しました。今回、日本M&Aセンターを紹介してくださったのもこの先生でしたが、実はその前に取引銀行から別の仲介会社を紹介されて話を進めたことがあったんです。ところが何年たってもお相手の提案をいただけず、いつの間にか話が立ち消えになってしまいました。それで、日本M&Aセンターに話を聞くことになりました。
私が日本M&Aセンターの方に伝えた希望は次の3つです。 1つ目は、マークという社名を残し、社員の雇用も継続するということ。 2つ目は、M&A後は私は経営から離れること。 そして3つ目は、譲渡の希望額です。M&A後も人生は続きます。自分の第二の人生をスタートする上で必要な金額をしっかり算定して伝えました。
異業種だからこそ、ものづくりの面白さや 伸びしろを高く評価してくれた
髙山様: ええ。非常にたくさんのお相手の中から絞り込んでいき、最終的に4社から手が挙がり、そのうち3名の経営者の方と面談しました。いずれも悪い印象はなく、どの会社さんと話が進んでもおかしくありませんでした。皆さんしっかり検討してくださっているというイメージでした。
髙山様: ええ。最初からしっかり当社の価値を見いだして引き継いでくれるところであれば業種のこだわりはありませんでした。それに、工場見学に来ていただいた際に、異業種だからこそものづくりの面白さや伸びしろを高く評価してくれていて、その姿に「うえろくさんなら任せても安心だ」、と思えたんです。
髙山様: 会社の要である社員や取引先には私の事業承継に関する考えは伝えていましたから、M&Aの最終契約締結後の社員発表でも動揺はありませんでした。特に社員には気を配りました。社員にとって一番の不安は、「社長が変わったらクビになるんじゃないか」ということです。ですから、雇用条件が変わらないことをしっかり相手企業に約束してもらった上で、「君たちオペレーターがいなくなったらマークは成り立たないんや」と伝えました。現在も、社員全員が辞めることなく働いてくれています。
決めた未来に迷わず突き進んだからこそ 納得のいくM&Aができた
髙山様: 当初は半年から1年ほどの引継ぎ期間を予定していましたが、もともと私自身は事業の現場からは離れて銀行回りやメイン取引先の対応を中心に行っていましたので、想定以上にスムーズに引継ぎが進み、今は完全に引退しています。
髙山様: 振り返ってみても、M&Aはいい選択だったと思っています。現在はセカンドキャリアとして考えていた事業を手掛けながら、悠々自適に過ごせています。腰の悪い母のためにバリアフリーでエレベーター付きの家を建てることもできました。
私は1つ物事を決めると、あまり変えたくない性格なんです。もう決めたら一直線。迷えば迷うほど、自分の想いとは違う方向に行ってしまうものです。経営者は迷ったらいけない。私は早い段階から事業承継を考え、自身のセカンドキャリアについても考えてきました。自分の決めた未来に迷わず突き進んだからこそ、M&Aも納得のいく形で進められたのだと思います。
こちらのM&A成功事例インタビューは動画でもご覧いただけます。
樹脂素材製品メーカーのカツロンは、1年半で2社を譲り受けました。元々成長戦略にはなかったM&Aをなぜ行ったのか、M&Aの目的と現在について伺いました。
ダクトの部品製造を手掛ける森鉄工業のオーナーは70歳を超え、後継者不在や会社の課題解決のために他県の会社に譲渡を行いました。
総合印刷会社エムアイシーグループは、約半年の間に3社を譲受けました。M&Aの目的、成約後のPMIについて話を伺いました。
まずは無料で
ご相談ください。
「自分でもできる?」「従業員にどう言えば?」 そんな不安があるのは当たり前です。お気軽にご相談ください。
戦略統括事業部 ダイレクトマーケティング部 上席課長 縄田 桂介 (有限会社マーク様担当)
コロナ禍でのM&Aということで、買い手候補の状況も刻々と変わり、なかなか成約に至らず苦労が続きましたが、髙山さんの「マークを次に残したい」という強い思いがこのようなご縁に繋がったのではと思います。両社の今後のますますの発展を応援いたします。