[M&A事例]Vol.148 会社を成長させるため譲渡を決断。社長を継続し経営パートナーを得る
東北鈴木の2代目社長は、事業拡大を目指すものの方向性に悩んでいました。解決する手段の選択肢としてM&Aを考え、2024年3月に県外の会社に譲渡を行いました。
譲渡企業情報
※M&A実行当時の情報
有限会社森田工産 森田浩前社長は、当社がお手伝いをし、2015年にM&Aによって株式会社エスイー(東証ジャスダック3423)グループに会社を譲渡されました。M&Aを決意された経緯や心境、現在の様子などをお聞きしました。
有限会社森田工産のご紹介と、ご自身の事業承継の経緯をお教えください。
森田様: 森田工産は、鳥取県米子市にて鉄骨工事業を営む会社です。創業者は私の両親で、私や兄の進学資金のために奮起して起業しました。当時、父は43歳でした。
私が大学に進学する際、父から「大学に行く代わりに卒業したら地元に帰れ」と言われました。兄は広告代理店に就職して会社を継ぐ気はなかったので、父は私を後継ぎとして考えたようです。私も大学に行きたかったので、父の条件をのみ、大学生活を送った後地元に戻りました。しばらくは父が社長として経営していましたが、私が37歳の時に社長に就任することになりました。
引退時期から逆算して、43歳から事業承継について検討
森田様: 父は43歳で会社を興し、50歳のときには、私に「大学進学後は地元に戻るように」という条件を出して後継者が決まっていました。自分自身も、「65歳で引退するなら55歳までに後継者を決めておきたい」と考えておりましたので、10年間くらいをかけて後継者を見つけようと、43歳頃から事業承継について考えるようになりました。まず考えたのは親族内承継です。私には娘がいますがまだ2歳で到底後継ぎ候補ではありませんし、都会で育った兄の子供たちは東京での就職を希望していました。親族での承継は不可能だと思いました。
立ちはだかった自社株の高額な相続税
森田様: ちょうどその頃、税理士さんから自社株の相続について話を聞きました。森田工産の業績は好調で、当時株価が3倍になっていました。大株主は父でしたから、まず自分への株の相続があり、そのあと自分から次世代への相続が生じるわけですが、それにかかる相続税は予想以上の額でした。
自分は多額の相続税を支払い、父から株を買い取る覚悟はあります。しかし次世代はどうか?換金性のない株式を莫大な相続税を払ってまで取得しようとしてくれるだろうか?―子供が相続することも、社員が相続することも、現実的ではないと思いました。
森田様: ”M&A”という言葉は、最初ピンときませんでした。M&Aは大企業がするものというイメージが強かったので「まさか自分の会社が?」と思いました。しかし話を聞くうち、自分が抱える事業承継問題はM&Aで解決できるかもしれないと考えるようになりました。なので、早速お相手探しをしてみようじゃないかということになったのです。
森田様: 耐震工事を請け負った際、エスイーさんの製品が当社の金属製品に取り付く設計図を見たことがあり以前から名前を知っている会社でした。面談では両社が一緒になった相乗効果を考えることができ盛り上がりました。工場見学にも行ったのですが、エスイーさんの高度な溶接技術に非常に興味をもちましたね。
“会社の将来”と”社員の安心”を軸に考え、M&Aを決断
森田様: エスイーさんという良いお相手と順調に進む一方で迷いがなかったとは言い切れません。実は一番相談したい父が、エスイーさんを紹介される2か月前に事故で他界していました。父が健在であればこんな時どう言うかを考えましたね。また、初めてのM&Aなので何を基準に決めていいのか不安に思うこともありました。
そのため、まず一番大切にする判断軸を決めました。私の場合は、”会社の将来”と”社員の安心”でした。上場企業であるエスイーさんと一緒になれば、これまでより雇用も安定するし、社員が胸を張って働ける会社になります。また、コンサルタントの岩井さんからも「これまでの日本M&Aセンターが仲介した実績からもエスイーさんがベストの選択です」と力強い言葉をいただきましたので、決断することができました。
M&Aによって会社の信用力が上がった
森田様: 社員は、はじめこそM&Aという言葉がピンとこなかったようですが、今はエスイーグループの一員として生き生き働いています。グループの給与水準に合わせ給料は上がりましたし、上場企業グループということでこれまで苦戦していた採用についても3名の新規採用ができました。会社の信用力が上がったのを実感しましたね。
早く始めることはノーリスク、何も行動せず悩んでいる方がリスク
森田様: 取引先には、驚きながらも「今までと変わらず鉄骨を作ってほしい」と言われました。今も変わらず取引は続いていますし、上場企業のグループ会社になったことで一次問屋から仕入れられるようになりました。
経営者仲間からは「親の会社を売ったのか」という声もありました。一方で「その若さでよく決断ができた」と早い決断を称えられたり、「そんな会社に買ってもらえるなんて素晴らしい!」と褒められたりしました。M&Aを経験した自分が言えることは、M&Aはいくら早く始めてもノーリスクだということです。M&Aの相手探しを始めた時点は、まだスタートではありません。お相手先が出てきてからがスタートです。関心があるのに行動せず悩んでいるほうが、業績の悪化や業界状況の変化など会社の将来のリスクにつながります。「業績が悪化したらM&Aについて相談させて」と言った経営者仲間もいますが、それでは遅い。業績の悪い会社より、上り調子の会社の方が誰だって買いたいはずですから。
M&Aは”奇跡的な体験”
森田様: 私のM&Aは、税理士さんに相続の相談をしたことがきっかけでしたが、その時はまさか自社が上場企業グループの一員になるとは思っていませんでした。しかしそれが現実となった。私にとってM&Aは”奇跡的な夢の体験”でしたね。
今はまだ常務として勤務していますが、以前に比べて家族との時間は多く取れるようになったので、今後は娘をいろんな場所に連れて行ってやりたいと思っています。以前は休日でも頭の中は会社経営の不安や悩みでいっぱいでしたから、こんな風に考えられるようになったのもM&Aのおかげだと思います。
M&A成功インタビューは、 日本M&Aセンター広報誌「NEXT vol.4」にも掲載されています。
東北鈴木の2代目社長は、事業拡大を目指すものの方向性に悩んでいました。解決する手段の選択肢としてM&Aを考え、2024年3月に県外の会社に譲渡を行いました。
沖縄県で防水工事業を手がけるヤマト防水工業は、10年後の譲渡を見据え準備を始めたところ、想定より早くにお相手が見つかりました。その経緯やM&A後について伺いました。
北海道全域で道路の舗装工事を行う道路建設は、当初掲げていた条件とは異なる企業を譲り受けます。M&Aから1年たった今、決断の背景と現在の状況を伺いました。
まずは無料で
ご相談ください。
「自分でもできる?」「従業員にどう言えば?」 そんな不安があるのは当たり前です。お気軽にご相談ください。
情報開発部 岩井 健 (森田工産様担当)
当初面談したとき、森田工産の実績は右肩上がりで史上最高益を更新中でした。そんな状況で森田社長は「更に良い会社にするためにどうしたらいいか」を常に考えてたのが印象的でした。”会社の成長のための買収戦略”は誰もが考えることです。しかし反対に”会社の成長のために譲渡する”という選択は、思いついてもなかなか心理的に決断できません。今回、森田工産を最高の時期に戦略的に譲渡できたのは、森田社長の経営者としての先見性と戦略性があってこそです。このような素晴らしいM&Aを担当できたこと誇りに思うとともに、今後も中小企業の未来を支えるM&Aを成約するべく邁進いたします。