[M&A事例]Vol.133 「良い仕事をしたい」――。2社譲り受け生き残りを図る創業75年の老舗樹脂素材製品メーカー
樹脂素材製品メーカーのカツロンは、1年半で2社を譲り受けました。元々成長戦略にはなかったM&Aをなぜ行ったのか、M&Aの目的と現在について伺いました。
譲渡企業情報
譲受け企業情報
※M&A実行当時の情報
ダクトの部品製造を手掛ける森鉄工業(北海道札幌市)は、1988年に森 敏樹社長(現在の役職は顧問)が設立した会社です。以来、誠心誠意向き合うことをモットーに信頼を積み重ねてきました。70歳を超え、後継者不在や会社の課題を目の前にして、このままでは従業員や顧客を守れないとM&Aを決意。2023年3月に建設土木用仮設資材メーカーのエヌ・エス・ピー(岐阜県中津川市)に株式譲渡しました。M&Aからおよそ10ヵ月、森社長に現在の状況を伺いました。(取材日:2023年12月4日)
――森鉄工業の事業内容と創業の経緯をお聞かせください。
譲渡企業 森鉄工業 森様: ダクト工事向けの建築用金属資材を製造して、今年で35年目になります。 森鉄工業は思わぬ形で始まった会社です。というのも、当時工場長を勤めていたダクトの部品製造の会社が倒産してしまったんです。個人保証していたリース物件の返済を被ることになった私は、1,500万円もの負債を抱えることになってしまいました。
そのとき、部品を納品していた会社から「森がいないと困る」と起業を勧められました。自分に経営者の素質があるとは思っていませんでしたが、生きていかなければなりません。皆さんからの後押しもあり、1988年に倒産した会社の仲間3人で創業しました。ちょうど40歳の時でした。
――創業当時はご苦労も多かったでしょうね。
森様: もちろんそうですね。北海道は雪深く、冬は建設工事ができません。1年を通じて安定した受注が得られない、非常に厳しい業界なんです。私はこれまで同業の会社に3、4社勤めてきましたが、すべて倒産してしまいました。
しかも私は工場で製造の現場にいましたから営業はしません。誠心誠意、お客様と接すれば営業はいらないと思っていたんです。ですから、来た依頼はどれだけ納期が厳しくても断りませんでした。それが信用となり次の受注につながっていきました。その積み重ねで今があります。 事業が軌道に乗ったと思えたのは10年過ぎてからですね。ちょうど返済が終わった頃です。
――35年続けてこられた会社を今回、M&Aで譲渡されたきっかけは何ですか。
森様:M&Aがどういうものかはよく理解していませんでしたが、自分の会社がさまざまな課題を抱えていて、どこか別の会社に委ねなければならない状態だとは思っていました。 例えば、当社には就業規則がありません。退職金の規定もない。工場は徒歩圏内に3ヵ所分散して建っていて効率が悪いうえに、建物は老朽化し耐震面の不安を抱えていました。これらの課題を解決しようにも時間も資金もありません。
こうした状況下では何かあったときに従業員も困るだろうし、お客様にも迷惑が掛かる。それなら当社より規模が大きく、制度のしっかりした会社と手を組んだほうが良いのではないかと考えるようになりました。70歳を超えていました。
――後継者についてはどんなお考えをお持ちでしたか。
森様:私には娘しかおらず、孫もおりません。親戚への承継も頭の片隅にはありましたが、できれば従業員の中から次の社長が出てほしいと思っていましたので、常々「この中から(次期社長を)選ぶぞ」と言っていました。ただ、先ほど申しました課題があり、断念しました。
そんな中、ちょうど2年ほど前、74歳の時に体を壊して入院したんです。私自身はすぐに治るだろうとあまり気に留めていなかったのですが、家族や周りが慌てまして。それでM&Aの検討を決めました。
――2021年10月からお相手探しが始まり、最終的に2社から意向表明がありましたね。
森様:1社は今回お相手となったエヌ・エス・ピー(岐阜県の建設土木用仮設資材メーカー)で、もう1社は北海道の住宅設備の卸売会社です。 最初は同じ北海道内のほうがM&A後の経営がうまくいくのではないかと思っていました。岐阜は遠いですし、「どうして岐阜の会社が当社を?」とも思ったのです。
ところが、トップ面談後にいただいたお手紙で心を動かされました。そこには「森社長のお客様から来た仕事は断らないという姿勢に感銘を受けた」とありました。私と価値観や考え方が同じであること、また手紙全体から伝わってくる熱意に本気で当社と一緒にやっていく覚悟を感じました。
――ビジネス面での感触はいかがでしたか。
森様:意向表明書を読んでビジネスの面でも森鉄工業の成長が期待できると思いました。エヌ・エス・ピーは元々下請けだったところ、元請けに左右される環境下では従業員の雇用が守れないとメーカーへの転換を果たされたそうです。
我々の仕事も同じなんです。お客様から発注が来て初めて作り始めます。それぞれ仕様も異なりますから作り置きもできず、資材に無駄も出やすい。メーカーへの転身は私の願いでもありました。エヌ・エス・ピーは全国展開している企業ですから、当社の技術を全国に展開できれば、ある程度の作り置きが可能になるのではないか。それが実現すれば、一年を通して安定的な供給が見込めるようになります。ここが決め手になり、2023年3月に最終契約を締結しました。
――M&Aから10ヵ月が経とうとしていますが、どんな変化がありましたか。
森様:いろいろな面でプラスの変化が大きかったですね。懸案だった就業規則や退職金制度も策定が進んでいますし、身近なところでも工程管理の見える化を始めるなど、少しずつ会社らしくなってきたと感じています。
私は井の中の蛙なんです。エヌ・エス・ピーの制度や仕組みは私にとっては新鮮で、とても刺激を受けています。それに、今後どんどん制度が整備されていけば従業員や従業員の家族も安心できますよね。それが何より嬉しいです。
10月にエヌ・エス・ピーの西山 公春さんが執行役社長に就任して私は顧問になりました。退任時の挨拶でも、私は従業員たちに「生き生きと働ける会社をみんなで作っていってほしい」と伝えました。私の一番の願いは、従業員が定年を迎えた時に「ああ、この会社に勤めて本当に良かったな」と思ってもらうことなんです。そういう会社をみんなで作っていってほしいですね。
――西山社長への引継ぎはどのように進めていらっしゃいますか。
森様:今は西山社長が新社長としてきちんと認知されるように、取引先や業界関係者へ一緒に挨拶回りに行き始めたところです。 そのほか、私が担ってきた業務については経理の募集をかけて、採用されたら引き継ぎをする予定です。これまで、部品の単価計算から給与計算まですべて私が一人で担ってきました。今後はそれらを一つひとつ渡していきながら身を引いていこうと考えています。
――今後に期待することをお聞かせください。
森様:森鉄工業の技術やノウハウを使って大型施設でのダクト製造を全国展開していくことです。エヌ・エス・ピーは主に戸建て住宅向けに資材を供給してきた会社ですから、当社と一緒になったことで新たな商圏を広げていこうという考えもあると思います。そうなれば全国の拠点に技術を教えに行くことになりますから、その際は私が行こうかと(笑)。
――まだまだお忙しい日々が続きそうですね。顧問になられて心境の変化はありましたか。
森様:M&Aから半年ほどたった時に、「間違いない選択だったな」と思いました。経営者としての責任や重圧から解放されたというのも一つありますが、ある時、友人から「昔歩いた山にまた行こう」と誘われて、そんな趣味があったことを思い出したんです。先日も久しぶりに故郷に行ってきました。その時に、こういう時間を持つのはいいことだな、この選択は間違っていなかったと思えたんです。
――そういうことに目を向けられるようになったご自身に気づかれたんですね。
森様:人生の最後のほうで仕事だけをしていても、と思えるようになったんでしょうね。西山社長にも「森さんちょっと変わったよ」と言われました。
――ご自身のプライベートも含めてこれからが楽しみですね。
森様:そうですね。実は私、20代の頃に十数人で広島から島根まで歩いたことがあるんです。その時にすれ違った小学生の少年の礼儀正しい挨拶に感動して、それがいまだに忘れられないんです。また、同じルートを歩いてみたいですね。
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北海道営業所 シニアチーフ 久米 徹(有限会社森鉄工業担当)
森社長は、ダクト製造会社は長続きしないというジンクスを打ち破り、実質無借金・高収益体質を確立してこられました。最初にご相談いただいてから5年かけてM&Aを実行。当初想定していなかった岐阜の会社とのM&Aで、今後は森鉄イズムの製品が全国に出ていくことになります。北海道の会社の製品が全国に出ていくことは私にとっても喜ばしい限りです。