[M&A事例]Vol.146 10年後を目標に譲渡先を探し始めるも、わずか1年で同じ志をもつ企業と巡り合う
沖縄県で防水工事業を手がけるヤマト防水工業は、10年後の譲渡を見据え準備を始めたところ、想定より早くにお相手が見つかりました。その経緯やM&A後について伺いました。
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父親が創業し、叔父が引き継いだ会社を任されておよそ20年。息子の進路に対する気持ちを尊重し、60歳を目前に事業承継の問題に直面した吹田一平社長は、そこで初めてM&Aという選択肢を知ります。会社がさらに成長すれば、従業員の雇用を守り、会社も存続できる。資本提携によって新規の受注獲得に向けて動けるようになり、現在も精力的に経営を続ける吹田社長に、M&Aを振り返っていただきました。
――吹田鉄工はどんな会社ですか。
譲渡企業 吹田鉄工株式会社 吹田様: 変圧器設備やプラント設備にかかわる製缶板金の会社です。1930年に父親が創業しました。製缶板金とは鉄やステンレスを切断したり、曲げたり、溶接したりと加工することで、当社は設計から制作まで一貫して対応しています。工場が3つあり、延べ1,000坪以上の広さです。
仕事は100%受注生産なので、常に景気に左右されてきました。バブルの時は当社も潤いましたが、その後バブルが崩壊して、今はコロナ禍で苦しい状況が続いています。現在の吹田鉄工があるのは、父親の代から継続して受注いただいている大手取引先2社のおかげです。父親からは必ず納期に間に合わせなさい、緊急の受注にも対応しなさいと教えられてきました。急きょ明日必要だとお願いされれば徹夜をしてでも応える。その積み重ねで信頼関係を築いてきたんです。
――吹田社長は3代目なんですね。
吹田様: はい。私は大学を卒業して23歳で吹田鉄工に入社しましたからもう40年ほどになります。最初は営業からのスタートでした。20年ほど現場を経験して、2001年に社長を継ぎました。
社長になってからは大変でした。それまでは「親父のために」という一心で働いていれば良かったですが、社長になったら自分で最終判断を下さなければいけない。その時はすでに父親も叔父もいませんでしたから、誰にも相談できません。経理を担ってくれていた妻に背中を押されながら、とにかくコツコツと経営をしてきました。
――事業承継についてはどんなお考えでしたか。
吹田様: 大学生の息子が一人いましたので、息子に継がせるということも選択肢の一つとして考えていました。ただ、子どもに苦労はさせたくありません。ですから財務面でも設備面でも困る事のないように、安心して継がせることを考えて準備をしてきたつもりです。 息子には修行のため、大学を卒業したら他の会社で何年か働かせるつもりでした。知り合いの経営者にお願いをして内定も出ていたのですが、ある時、息子から「なりたい仕事があって試験を受けたい。受かったらその道に進ませてほしい」と話がありました。ちょうど私が54歳になろうという時です。
――親族外承継はお考えにならなかったのですか。
吹田様: 実は、外注先の息子さんを社長に迎えるという話もあったんです。そんなときに野村證券さんからM&Aについて提案を受けました。それまでM&Aについては何も知りませんでした。いろいろ教えてもらうなかで、事業承継には株の承継(買い取り)の問題があることを知って、親族外承継も難しいと思いました。
一方で、M&Aで譲渡することによって、会社が成長できるということも学びました。息子に事業承継すれば会社は継続できますが、成長はどうだろうか。譲受け企業の一員になることで会社に新しい情報が入り、成長路線に進むのであればM&Aという選択肢もあるのではないかと考えるようになりました。
――2019年7月、野村證券の紹介を受けて日本M&Aセンターで相手企業探しが始まりました。初めて譲受け候補先リストをご提出してからおよそ3カ月で、坂海工業所からぜひお会いしたいと声が掛かりましたね。
吹田様: そうなんです。実はリストの中にも坂海工業所の名前はあったのですが、滋賀県の会社ということで対象から外していました。当社は兵庫県の会社ですから、お相手のエリアは神戸から大阪あたりまでと考えていたんです。
2020年9月に最初のTOP面談をしましたが、西田成希社長は素晴らしい経営者でした。私の方が10歳以上も年上ですが、きちんとした経営方針、理念をお持ちで、こちらが恥ずかしくなるほどでした。人柄にも魅力を感じ、希望のエリア外だったものの、そのまま話を進めていただくことにしたんです。その後も双方の本社を見学するなど何度かTOP面談を経て、3カ月弱で株式譲渡契約を結ばせていただきました。
――TOP面談から約3カ月というスピード成約でしたが不安はありませんでしたか。
吹田様: 取引先・従業員さんの反応を心配していましたが、日本M&Aセンターの担当の河内さんが丁寧にM&Aのプロセスを説明しながら伴走してくれたので、安心して進められました。
(役職はM&A実行当時)
――今回は製缶板金とプラント工事という隣接業種のM&Aですね。M&Aから約1年半経って、どんなシナジー効果が生まれていますか。
吹田様: 当社の事業は設計から制作までです。坂海工業所は設置工事までされますから、そこも請け負う事ができるようになりました。実際に新しい現場で「配管工事もできますか」と言われて、できますと見積もりさせていただきました。
――従業員さんの反応はいかがでしたか。
吹田様: M&Aによって事業承継の課題を解決して、これまで一緒に働いてきてくれた人たちの雇用を守ることが一番の目的でしたから、M&Aしたことを伝えた際も「皆さんの雇用を守るためですよ」と伝えました。特に混乱もなく、これまでもM&Aしたことが原因で辞めた人は一人もいません。坂海工業所のお客さんからも製缶板金の仕事をいただきながら、ひとつのグループとして協力し合っていってほしいと思います。
――吹田社長は現在も社長を継続されていらっしゃるんですね。
吹田様: 65歳まで取締役社長を続けることになっています。M&A後はより一層頑張ろうという気持ちになっていて、以前よりも早く会社に来ているほどです。(笑) 今回、創業以来、親族で経営してきた会社を譲渡したわけですが、「吹田鉄工」という会社を残す事ができたわけですから、そういう意味ではM&Aという選択肢も悪くなかったと今は思っています。
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自前でPMIに取り組む難しさを痛感して日本PMIコンサルティングのPMI支援サービスを利用。ご自身の経験からPMIの難しさと効果について伺いました。
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金融提携事業部 シニアチーフ 河内 孝裕 (吹田鉄工株式会社様担当)
「M&Aはご縁とタイミング」です。印象的だったのは、TOP面談を重ねるごとにお互いの理解が深まり、吹田社長は高い目標を掲げチャレンジを続ける西田社長をリスペクトされ、西田社長は日本のモノづくりを支える吹田社長を深くリスペクトされていたことでした。さらなる高みを目指し、西田社長と二人三脚で経営をされている吹田社長を今後も陰ながら応援しております。