[M&A事例]Vol.148 会社を成長させるため譲渡を決断。社長を継続し経営パートナーを得る
東北鈴木の2代目社長は、事業拡大を目指すものの方向性に悩んでいました。解決する手段の選択肢としてM&Aを考え、2024年3月に県外の会社に譲渡を行いました。
譲渡企業情報
※M&A実行当時の情報
2018年7月M&Aを実行された株式会社スリーエフ 前代表取締役 小池純司様、前専務取締役 小池 純子様ご夫妻に、M&Aを決意された経緯や心境、現在のご様子について日本M&Aセンター髙越がお伺いしました。
小池純司様: 実家の家業が工務店だった私は、自然と建築の世界に関心を抱き、東京理科大学の工学部を卒業後、4年半ほど勤め人を経験しました。上司の力量で自分の人生が決まってしまうより、「やりたいことをやる」と決めてスリーエフをひとりで立ち上げました。実は、独立したら時間が有効に使えるのでは、と期待していました。
結果として、独立して間もなくヒマラヤ山脈への登山に2週間ほど出かけたことくらいで、あとは休みや自由に使える時間はほとんどありませんでしたね。
2003年には「住宅建築賞」を受賞、設計事務所だけではなく施工会社や施主様とともに表彰され、雑誌にも取り上げられ、反響が大きかったです。創業からしばらくは従業員もなかなか定着しませんでしたが、この頃からは定着率もあがり、技術者集団となりました。
日本M&Aセンター(以下MA)髙越: 会社は順調に伸びていきましたが、その後お二人が病気に悩まされるようになったと伺いました。
小池純司様: 2006年に私が軽い脳疾患で約2週間の入院を余儀なくされました。退院して回復し、もう病気の事も忘れかけていた頃に今度は家内に癌が見つかり、入院しました。その後も交互に病気に悩まされました。幸い二人同時ではなかったので会社の経営に影響はなかったのですが、「もし二人とも倒れてしまった場合、会社はどうなってしまうのだろう」と考えるようになりました。
商工会議所に経営相談、その中でM&Aを決断
MA髙越: そんな中、事業承継を意識してセミナーに参加したり、経営相談に行かれたそうですね。
小池純子様: 金融機関が主催する事業承継のセミナーにいくつか参加して勉強しました。当時のセミナーでは専門用語が多くて正直よくわかりませんでした。加えて事業承継は長い期間かけてやるものにも関わらず金融機関は転勤・異動が定期的にあるので任せづらいなとも感じていました。
ある年、赤字が過去最大になってしまった期を終えたときにいよいよ将来に向けての経営を本気で考えないといけないと思いました。
商工会議所に経営相談し、1年ほどかけて社員の意識が変わり利益率もあがりました。商工会議所の人とは肌があいました。しかし、消費税のさらなる増税、オリンピックによる資材高騰、慢性的な技術者不足等々考えると単独で生き残っていくことは難しいと思い、M&Aの選択肢を検討するようになりました。
MA髙越: そこで商工会議所が運営する「東京都事業引継ぎ支援センター」に相談されたんですね。事業引継ぎ支援センターは、政府がM&Aを支援する機関として創設したセンターですので、真に公正中立な立場でアドバイスをしてもらえます。
小池純司様: 商工会議所の経営指導を受けていたときに、M&Aの相談窓口があることを知っていましたので、夫婦で相談に行きました。3社ほどのM&A仲介会社を紹介していただきましたが、最終的には「情報量の豊富さ」が決め手となり日本M&Aセンターを指名しました。料金的には決して安いとは言えませんが、「安くできますよ」と言われると、私の場合、かえって不安になります。経営者人生の総仕上げですから、安さよりも成果をあげてほしいと思いました。
MA髙越: 日本M&Aセンターがお受けすることになり、1年ほど前の2017年11月頃、初めてお会いしましたね。
小池純司様: 髙越さんに提示された豊富な買い手候補リストを見たときは正直半信半疑でした。本当にこれだけ当社を買いたい企業があるのかと。さすがプロだな、と感心しました。しかも候補リストをいただいたのは、大量の資料提出を要求されやっと全て揃えて提出した後、間もなくでしたから。「もっとゆっくりやってくれてもよかったのに」と思ったくらいです。笑
M&A後の姿が見える相手とめぐり会えた。
MA髙越: 結果として、3社の具体的な買い手候補が現れました。
小池純司様: 従業員が安心して働けるような、ハートのある会社と一緒に組みたいと思いました。また、私はアトリエ派の設計事務所との仕事を大切にしたいと思っています。ただちょっと儲けが少ないので、どうしても縮小されてしまうのではと感じていました。お相手に選んだ社長は、「アトリエ派の仕事のノウハウも蓄積できているし、それがスリーエフカラーだ」と言ってくれました。それだったら私もバトンタッチしてからいろんな面でサポートできるし、相手の会社の社員を教育できる。経営に関しては新しい社長が判断するだろうけど、経験上アドバイスできることをこれからも話したいと思っています。また、そのお相手には商材のルートがあり、今までよりも利益をあげられるので、決め手となりました。
MA髙越: M&Aを進めていくなかで最終局面の前に、息子さん達にも意思確認されたみたいですね。
小池純子様: 息子が3人いましたが三男が高校を卒業した時点で誰も建築科に進むものはいませんでした。そのときに夫の耳には入っていない様でしたが、私には社内で「息子さん達は継がないようだ」とか「奥さんは会社の今後をどう考えているのか」とか将来の経営についての意見が出ている事が耳に入っていました。とはいえ、息子たちには人生自由に生きてほしかったので無理に継がせるつもりはありませんでした。
とはいえ何の確認もせず、というのも気が引けましたので、それぞれに確認をとりました。「今はない」「今更言うな」「何もいってこないから、継いではいけないものと考えていた」と三者三様の答えが返ってきましたが、いずれも継がないということでしたので、何の懸念もなく進めることができました。
MA髙越: 株式譲渡契約が決まったときには従業員さんにも開示されましたがそのときの雰囲気はいかがでしたか。
小池純子様: 驚いてはいましたが、先が見えてよかったといってくれました。社長と私がしばらく残って引き継いでいく、といいましたので、それなら悪いようにはならないだろう、と納得してもらうことができました。
小池純司様: 引継ぎはこれからといったところですが、現場の数が増えていて、まだ私たちが対応しているところもあります。けれど、肩の荷はおりましたので、今後は現場の技術者への教育で貢献できればと考えています。
MA髙越: 従業員発表がスムーズだったのは従業員の皆様が小池様ご夫妻を信頼していたからでしょうね。
小池純司様: 年末には合同で忘年会があるんです。場所もちょうど両社の真ん中で。楽しみです。
何事も体験してみないとわからないので、悩みはじめたら「まずは一歩踏み出す」ということが大事
雇われる従業員の身からすると後継者のことを考えないのははた迷惑なことかもしれません
社業には未練があるし売りたくないという気持ちは強いですが、傍にいる人と喧嘩になったとしても次をどうするのか考え話し合うことが経営者の責任ではないでしょうか。
M&A成功インタビューは、 日本M&Aセンター広報誌「next vol.12」にも掲載されています。
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