[M&A事例]Vol.143 静岡で有名なお弁当チェーン「どんどん」が投資会社の支援を受け取り組む新たな挑戦
東京都で中小企業投資・経営支援事業などを行うunlock.ly(アンロックリー)の三島 徹平社長に、M&Aの経緯とハンズオン支援のポイントを伺いました。
譲渡企業情報
※M&A実行当時の情報
2002年2月にM&Aで会社を譲渡され、その後第二創業を果たされた鈴木均社長に、当時M&Aを決意された理由やその後の心境などをお聞きしました。
鈴木様: 私が譲渡した会社は、山形県米沢市でリネンサプライ業を営んでいました。約40年前に私の父が創業し、以後私が2代目として継いだ会社です。地元では病院寝具リース事業のおよそ90パーセントのシェアを確保しており、先行きも順調のように見えました。
しかし、事業のサイクルも10年、あるいは5年といわれるほど短くなってきて、どれだけ高いシェアを持っていても、中小企業にとって「事業の柱が1つしかない」のは、経営リスクがとても大きいのだということに気付きました。また実質私が会社を引き継いでから、抜本的な経営改革が必要だと認識しつつも、創業者である父の40年続いてきた経営手法にメスを入れるのはそう簡単ではありませんでした。このように日々の奮闘とは裏腹に会社が成熟期から衰退期に転換していくのを肌で感じ、このままでは自助努力で巻き返しを図ることは難しいのではないかと思うようになりました。
このようなときに、経営者の取るべき経営戦略は何か、起死回生の施策を探し求める日々が続きました。その後、M&Aで大手企業のグループ会社になるという経営戦略があるという情報を得たのですが、当時中小企業のM&Aについて周囲に詳細を知る専門家はいませんでした。そこで独学で勉強しているうちに、分林社長の著書「中小企業M&Aの時代が来た!」(H&I出版)に出会ったのです。この本を読み終えて、早速日本M&Aセンターに相談に行きました。その後担当の方と何度も打ち合わせを重ね、具体的な話を聞くうちに、「会社を引き継いでもらうなら今しかない!」と確信し、M&Aを決意するに至ったのです。
鈴木様: 私は、当初からM&Aで会社を譲渡した後は新事業を立ち上げる、と決めていました。従ってM&A後、取引先への挨拶などの引継ぎをしながら、着々と新事業の立ち上げに向けて準備を進めました。そして、会社を譲渡してから4カ月後の2002年6月、「キャリア開発支援事業」や「退職後の生涯学習支援事業」を主体としたY社を立ち上げ、代表取締役に就任しました。同時に、私と同じような境遇で悩んでいる地元の経営者の方にM&Aの有効性を正しく知ってもらおうと、日々活動に精を出しています。中小企業のM&A決断支援を、無料のメールマガジンで全国の経営者に配信しています。メールアドレスの登録のみですので、ぜひ参考にしてください。小社ホームページから登録できます。
今回のM&Aで、結果的に同族は倒産という最悪の状況を回避するばかりでなく起死回生を図り、売却した会社は存続発展を続け、私は売却益で第二創業を果たしました。一方買収した会社は当地のシェアを確保し、さらなる営業拡大をもくろむことが可能となりました。何よりも、社員の雇用も継続できました。結果的に、私の決断は多くの人々をハッピーにできたのではないかと思っています。
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