[M&A事例]Vol.148 会社を成長させるため譲渡を決断。社長を継続し経営パートナーを得る
東北鈴木の2代目社長は、事業拡大を目指すものの方向性に悩んでいました。解決する手段の選択肢としてM&Aを考え、2024年3月に県外の会社に譲渡を行いました。
譲渡企業情報
譲受企業情報
※M&A実行当時の情報
株式会社カヨウ商事は、2018年10月に株式譲渡によるM&Aを行いました。後継者候補が居ながらも、「継がない」という決断になり、後継者問題を解決するための決断でした。成約から3年あまり、現在も会長(代表権はなし)として同社に携わる上野会長に、どんな想いでM&Aに臨まれたかお話を伺いました。
――創業の経緯を教えてください。
上野様: 1962年にマットレスを販売する事業で個人創業しました。業績は好調で、その2年後には法人化し、併せて当時世間で関心の高かったインテリアにも着目し、商材をカーペットやカーテンなどにシフトしました。その後も流行や需要に合わせて新しい商品を販売しながら、順調に経営を続けてきました。
――事業承継については早くから取り組まれていたのですか。
上野様: はい。私にも、専務である弟にも娘はいましたが、会社は継がないだろうと思っていました。しかし1995年に娘婿が会社に入ってくれたので、彼が後を継いでくれるものとして安心していました。 10年ほどたった頃でしょうか。私も65歳になり、娘婿の年齢を考えてもそろそろバトンタッチの時期だろうと思い、「10年たったし、そろそろ(社長に)どうや」と話をしたのです。すると、「ちょっと考えさせてほしい」と予想外の返事が返ってきました。 1年くらい娘と一緒に考えたようです。その後、「私にはどうしても荷が重いので会社は継げない。誰か他の人に継いでいただけませんか」と話があり、次の人生のために会社を去りました。後継者候補として10年接してきましたから残念でなりませんでしたが、もともと違う業界で活躍していてそこに戻るとのことでしたので、引き留めてもお互いのためにならないと送り出しました。
その後、社員に継いでもらうことを考えました。経理と営業のトップに、二人で力を合わせて会社を継いでもらおうと思ったのです。一度は前向きに考えてくれたのですが、株式を買い取るための資金面がネックになったことに加えて、リーマン・ショックが起きたんです。当社も大きな影響を受けて売り上げは50~60%も落ちました。そうした中で、「とても僕らでは無理なのでなかったことにしてほしい。その代わり、死に物狂いで働きます」と申し出てくれました。
――後継者探しが難航するなかで、どんな行動をとられましたか。
上野様: 何とかして自分が興したカヨウ商事を残したいとの思いがありましたので、その後はメインバンクや税理士の先生に相談しました。すると、とにかくまずは売り上げを戻すことが最優先とのアドバイスをいただきました。2人の社員は宣言通り、一生懸命に働いてくれました。加えて、リーマン・ショックに伴う国の金融支援策のおかげで徐々に売り上げを回復させることができました。 業績が回復した2013年に、地元の信用金庫から後継者を探してくれるとの提案がありました。ただ、譲渡するとなれば最低でも51%の株式を買ってもらわなければなりません。資本金は4500万円でしたが、決して安くはない金額に、なかなか相手先は決まりませんでした。 次に「今、こういうのが流行り出している」と提案してきたのがM&Aでした。
――M&Aはすぐに決意されたのですか。
上野様: いえ。信用金庫の担当者は、「(良い会社なので)会社の清算にかかる費用を除いても手元にお金は残ります。しかし、廃業するにはいかにも惜しい」と言ってくれました。よく考えれば、廃業するという選択肢は社員のことを無視した自分勝手な考え方です。それに、50年以上当社を支えてくれたお客さんもいます。こうした方々のことを考えたら、会社を清算して自分の手元にお金が残ればいいといった選択は到底考えられませんでした。 そこで、金融機関主催の事業承継セミナーに何度も足を運び勉強しながら、いいお相手がいればM&Aもいいんじゃないかと、だんだん意思を固めていきました。
――M&Aのことをご家族に相談されましたか。
上野様: 専務である弟とは以前から事業承継についてよく話し合ってきましたから、M&Aについても理解を得て、スムーズに進めることができました。妻も「自分で作った会社なんだから、お父さんがいいというならいいよ」と賛成してくれました。
――日本M&Aセンターとの出会いは2017年ですね。
上野様: ええ。日本M&Aセンターを紹介してくれたのはメインバンクです。何社か仲介会社を紹介されましたが、「この会社は上場企業だし、M&Aでは日本で一番大きなところなので」というので、日本M&Aセンターを選択しました。
――譲渡に当たっての条件を教えてください。
上野様: 私が提示したのは3つです。1つは「社員全員の継続雇用」、2つは「カヨウ商事の存続」、そして最後は「お世話になったお客さんとの繋がりの継続」です。 譲渡金額も重要ではありますが、それはあくまで私個人の事で、とにかく提示した3つの条件を完全に守ってくれるかどうかが重要でした。 M&Aを成功させるには、「何を大事にするか」をはっきりさせることです。私にとってはこの3つでした。とにかく社員が一番です。社員がいなければ会社は回っていきませんから。
――今回のお相手を選ばれた理由はどこですか。
上野様: もちろん3つの条件を守ってくれるということが一番ですが、問屋業は経営することが難しいんです。だから、ある程度力のあるお相手でないと難しいだろうと思っていました。その点、ツカサさんは規模の大きな会社でした。日本M&Aセンターを選んだ時と同様に、任せて安心な企業だろうと思いました。 実際にお会いしてみると、取り扱う商品に共通点があることがわかりました。社長の紳士的な様子にも好感が持てましたので、1社目にして話を進めてもらうことを決めたのです。ツカサさんとの出会いから約3カ月後には最終契約締結・株式譲渡まで進みました。
――M&A成立後、社員さんへ開示した際の反応はいかがでしたか。
上野様: 社員への報告の仕方については、専務と事前によく話をしました。後継者候補として考えていた経理と営業のトップにまず最初に話をしました。守られる3つの条件について伝えたところ、「僕らもできなかったことをやってもらえるのであれば」と賛成してくれました。 締結した日には、ツカサの役員の方が会社に来てくれました。そして社員全員の前で、「これまでカヨウ商事としてやってこられたことをそのまま続けてくれれば大丈夫です。互いのいいところを吸収しあっていきましょう」と伝えてくれたことが社員を安心させました。あれから現在まで、おかげさまで1人も会社を辞めていません。
――担当コンサルタントの対応はいかがでしたか。
上野様: 担当してくれた担当者は明るい人柄で、いい人に巡り合えたと思っています。普段からこまめに連絡をくれて、安心して話を進めることができ、非常に感謝しています。
――成約式から3年が経とうとしています。あらためてM&Aをして良かったと実感することはありますか。
上野様: 辞めた社員がいないというのが1番の喜びですが、数字の面でもいい結果が生まれています。同じ問屋でも企業規模の大きなツカサさんと一緒になったことで好条件で仕入れることが可能になり、取引先も増えて売り上げが5割アップしました。社員は、以前にも増してやりがいを持って仕事に取り組んでくれています。 私は、パートナーとなるM&A相手企業の社長の人柄が非常に大事だと思います。M&A後に密に接していくのは社員ですから、社員と上手くコミュニケーションがとれなければいけません。ツカサの社長は人間力に溢れた方でした。その社長の薫陶を受ける役員の皆さまも、非常に働きやすい環境を築いてくれています。
――最後に、ご自身の体験を踏まえて、譲渡をお考えの方へメッセージをお願いいたします。
上野様: どういう目的でM&Aをするのか、ということが大事だと思います。私欲を出しては上手くいきません。目的を「企業の存続」と位置付ければ、社員のこと、会社のことを考えて正しい意思決定をすることができると思います。
東北鈴木の2代目社長は、事業拡大を目指すものの方向性に悩んでいました。解決する手段の選択肢としてM&Aを考え、2024年3月に県外の会社に譲渡を行いました。
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担当コンサルタント
2018年9月にご成約された後も、両社がそれぞれの強みを共有そして発展されている姿を拝見し、担当としてこれ以上の喜びはありません。M&Aは事業承継課題の解決だけでなく、両企業の成長を更に加速させていく為の「パートナー」戦略であるとも考えます。本件はM&Aで両社がプラス2になるのではなく、「掛ける2」になった素晴らしい事例です。引き続き、両社の更なる発展をお祈り致します。