[M&A事例]Vol.147 M&Aで10社を束ねるグループ企業に。成長の原点となったのは1社目のPMI
菓子・珍味の製造販売を行う譲受け企業はM&Aで成長を加速させ海外進出も果たしました。成長にドライブをかける原点となった1社目のPMI成功について伺いました。
譲渡企業情報
※M&A実行当時の情報
沖縄本島北部、本部半島の北側に位置する今帰仁村(なきじんそん)。この地では古くから農業と漁業が盛んに行われてきました。沖縄県が全国生産量1位を誇るマンゴーは、今帰仁村のふるさと納税の返礼品としても人気を集めています。 その今帰仁村で30年にわたりマンゴー生産を行ってきた「あけのフルーツ」が2021年秋、大阪の青果仲卸業大手である「泉州屋」と資本提携し、業界関係者の話題を集めました。今回、成約まもないタイミングで両社の代表からそれぞれお話を伺うことができました。まずは農業生産法人株式会社あけのフルーツ代表取締役社長 宮城 洋平様のお話をご覧ください。
―沖縄がマンゴーの生産量1位、全国シェア5割と聞いて驚きました。
宮城様: そうなんです。マンゴーというと宮崎のイメージを持たれる人もいるかもしれませんが、沖縄が全国1位です。国産マンゴーの旬は春から夏にかけて。今の時期みなさんが店頭で見かけるのは、年中売られているフィリピン、メキシコなど外国産のマンゴーですね。
—あけのフルーツさんは、異業種から農園を始められたそうですね。
宮城様:先代である父が30年前「沖縄で熱帯果樹の生産を広めよう」「農業で村おこしをしよう」と考えたのがはじまりです。もともとサトウキビなど育てた経験はあったようなのですが、台湾や東南アジアの熱帯果樹に注目した父は、マンゴーを選びました。当時メインで手掛けていた建設業は兄弟に引き継ぎ、平成元年、本格的に生産をスタートさせたのです。
—沖縄でのマンゴー栽培、当時はまだ珍しかったのではないですか?
宮城様: はい。肥料も農薬もないところからのスタートで苦労の連続だったと思います。私も学生時代から生産・販売に携わり、父が試行錯誤する様子を近くで見守ってきました。生産方法が確立したのは、この20年くらいのこと。沖縄のマンゴーとしてやっと認知されはじめたのはここ数年の話ではないでしょうか。
—改めて、今回譲渡に至った背景をお教えください。
宮城様: 事業承継について、具体的に家族で話し合いを始めたのは3年ほど前からです。私自身はもともと家業とは別に金融機関に勤めていたので、この農園を継ぐつもりはありませんでした。なので、父の後を継ぐ人間が決まっていなかったこと。そして、独自の生産方法で「つくる」ということに関しては強みを持っていたのですが、その先の販路・流通開拓、価格設定などいわゆる営業的な側面に課題を感じていたこと。これら2つを前に、この仕事を今後残すべきなのかどうなのか、家族みんなで悩み葛藤しながら「第三者に譲渡する」ことを決めました。
譲渡すると決めてから、最初のうちは漠然と、うちの農園を生産から販売までまるごと引き継いでくれる相手先を探していました。日本M&Aセンターのコンサルタントに相談しながら、同業のマンゴー農園や、県内のリゾートホテルなど様々な業種に自分たちでも当たってみたという感じです。
―たくさん候補先とお会いされたと聞いています。反応はいかがでしたか。
宮城様:やっぱりみなさん、興味はあるけれども生産できる自信がない、と。 同業者にも当たってみましたが、生産の先の販売まで担う、業容拡大ということには消極的でした。ただ、相手探しの段階で、自分たちでも積極的に動いて情報を集めた結果、こちらと相手のニーズにギャップがあることに気づけた、というのはひとつ収穫でしたね。 生産のその先、売ることを強みに持つお相手と組むのが、自分たちにはふさわしいのだろうと、軌道修正ができました。結果、今回の泉州屋さんのように生産、販売をすみ分けできる、理想のお相手に巡り合えたと考えています。
―継ぐつもりがなかった、という気持ちが変わるきっかけは何だったのでしょうか。
宮城様:相手先を検討していく中で、改めてうちの農園の存在意義、農業全体の未来ということも考えるようになりました。
現在、沖縄県の産業を支えているのは主に建設業、サービス業、農業といわれています。 コロナ禍でいずれも厳しい状況にありますが、特に農業はいつの時代も厳しい立場におかれています。 高級フルーツといわれる、価値あるものを自分たちで作っていても、農協、市場に販売するだけでは農家の発展がないと常々考えていました。たとえばマンゴーの市場価値が一箱1万円としても、卸売価格はその10%になる場合もあります。小売価格は一定なのに生産者価格は毎年不安定。過酷な労働環境で、若い人の雇用確保も難しい。
少し話がそれますが、農業に従事する中で一番つらいのは何かわかりますか? 農薬散布です。農薬は撒かなくてすむならそれにこしたことはないのですが、撒かないと虫にやられてしまう。なので、みんな暑い中、防護服を着て大変な思いをしてやってるんです。そうしたつらいこと、農家の負担を軽減することで、若い農家を志す人を増やしていきたい。先代はそういう思いから、農薬を使わずに益虫を使った「天敵農法」を導入しています。
これだけみんなが美味しいといってくれるマンゴーをつくっているのに、なんでこんなにつくる人たちの働く環境や待遇が他業種と比べて大変なんだろうと。農家の苦労を間近で見てきて長年疑問に感じていました。つくっている人たちの待遇を変えるためには、売上を3倍以上伸ばさないといけない。でも畑も限られていますし、生産量を簡単に上げることはできない。ならば、やり方を変えて付加価値をつけていく、そのために外部の力をとり入れていこうと。
—それを実現できる相手が泉州屋さんだったんですね。
宮城様:そうですね。お互いの強みを合わせて農園を残していこうと。こうした厳しい状況はマンゴーに限らず農業全体にいえることなので、まず自分たちがそれを実践していこうと考えています。こうした一連の思考を経て、この事業が農業や地域の未来につながる魅力的な事業だと。これは残さなければいけない、それに自分が関わってやっていきたいという決意がふつふつと生まれたという感じでしょうか。
―少し話を戻しますが、当社にご相談いただいた経緯についてお聞かせください。
宮城様:直接は顧問税理士の先生からの紹介でしたが、金融機関におりましたので、もともと日本M&Aセンターを知っていたのと、コンサルタントが農業知識に明るい人だったので、これはご縁だと思って。農業生産法人のM&Aってあまり聞かないですよね。沖縄だとリゾート開発を目的に大手による買収が行われることは少なくありません。ひとつ間違えると単なる農地の売買になってしまうので、そうはしたくなかった。なので、農業に詳しいM&Aコンサルタントがいる日本M&Aセンターに仲介をお願いしました。
―ご家族で譲渡を決められてからスムーズに進められましたか。
宮城様:私自身は仕事柄、事業再生などM&Aという言葉にも抵抗はなかったのですが、先代は「譲渡をして(まわりから)どう見られるか、どう説明したらいいか」という点で、気にはしていたと思います。 そこは家族・関係者内で何度も意見のすり合わせを重ねて、結果「自信をもって提携しよう。」「生産を継続していいものをつくっていこう。」そういうスタンスで今回の提携にふみきりました。
―泉州屋さんとの提携後、まわりの反応はいかがでしたか。
宮城様:まわりに察してもらうのではなく、ちゃんと自分たちの言葉で伝える。生産仲間やお取引先、金融機関にも十分な説明を行うようこころがけましたね。 新聞にも取り上げられたのですが、M&Aをよく理解されている方からは「最高の選択だったね」と声をかけていただきました。一方で事情が伝わらなかった方は、気を遣って連絡とるのを遠慮していたと後から聞きました。いまだに譲渡する=ネガティブに受け取る人も少なくないですよね。そういう自分自身の体験からも、今後M&A、譲渡するという選択肢について正しく理解が進むといいなと感じましたね。
—今回のM&Aのプロセスで大変だったことは何ですか。
宮城様:マンゴーの植え替えですね。これは本当に大変というか資金的にも精神的にもつらかったです。継続して生産を続ける上で果樹の更新(植え替え)は不可欠です。成熟している樹木をあえて幼木に植え替える。その後5年ほど実はならない=収穫できないので、その間生産量が落ちるということです。農園を継続させて生産し続ける長期ビジョンのために、M&Aに際してそうした環境整備を行い、売上低下を容認する決断・覚悟が必要不可欠でした。ただ、そうした点も泉州屋さんにご理解いただけたことは助かりました。 あとは、時間的な問題。先代は今も元気に毎日畑に足を運んでいますが、高齢であるため、いつ何が起こってもおかしくない。M&Aを進めるうえで、時間的な焦りはなかったといったら嘘になるかもしれません。
—お相手の泉州屋さんについてお聞かせください。
宮城様:夏に役員の方たちが、大阪から直接農場に来られて。青果の仲卸業なので畑の事をよくご存じなんです。いままで他に見学に来られた会社さんと、質問やチェックの視点が明らかに違いましたね。生産する側としては「畑を見てわかってもらえる」という点が一番心強かったです。その後も泉州屋さんからいろいろな方が畑を見に来てくださって、畑を評価してもらえた、というのが一番大きいですね。
あと、泉州屋さんはECサイトを運営されていて独自の販路を持っていることもポイントでした。たとえば夏に季節商品としてマンゴーを販売しつつ、そのほかの季節では、いわゆるB級のマンゴーを加工品として販売できる可能性もあります。私たちだけですと、たとえばサイトから注文や問い合わせを受けて、発送作業をして、などのパソコンを使った顧客管理まで手が回らないんです。それが一緒になることで、泉州屋さんの方で注文を受けて、私たちの方に送り状が届いて発送するというようにすみわけができるようになります。
—B級のマンゴーというお話がでましたが。
宮城様:品質を等級と呼んでいて、形、色、糖度などで決められます。マンゴーは少しでも傷がつくと等級を落としてしまい、いわゆる贈答品向けにできないので、冷蔵保管して、つぶして加工品に使われます。ペースト状にしてかき氷にしたり、ロールケーキにしたり。 おかげさまで、うちの農園は1個も余らずに販売できていたのですが、今後は泉州屋さんと一緒に付加価値をつけて売っていこうと。 そのほか、泉州屋さんグループ傘下には様々な会社さんがいらっしゃいますので、今後そうしたグループ内での連携の可能性も感じています。
—M&A成約式は「OKINAWAフルーツらんど」で行われたと聞きました。
宮城様:うちの家族にとってゆかりのある場所を選びました。こう言ってはなんですが(笑)思っていた以上に良いイベントでした。成約式には先代と私、泉州屋さんからは社長さんと役員の方、みんなでかりゆしを着て参加しました。意見交換しながら、これからの夢を語りあったりして、お互いの想いを改めて確認できました。 専任のセレモニストの人がいるというのも驚きましたし、セレモニストの眞辺さんも、段取りから何からいろいろと心配りして執り行ってくれたのが印象的でした。 こういう機会がなかったら書類にハンコ押して終わり、だったと思うので、M&Aを検討されている方、特に譲渡を検討されている方は節目の場として成約式、おすすめします。
―成約式から間もないですが、泉州屋さんのグループになったことで何か変化の兆しは感じておられますか?
宮城様:今までは先代の考えで物事が動くオーナー企業でしたが、組織化された企業グループの一員になったので、社員たちの働く意識も徐々に変わってくると思っています。 今までつくることに専念してきたので「売れるものをどうつくっていくか」という視点で考え始められると、とてもいい刺激になるのではないでしょうか。農業従事者を今後増やす予定なので、今回の提携で採用面でもメリットが出てくることに期待しています。
―…ずっと気になっていたのですが「あけのフルーツ」という名前の由来を教えてください。
宮城様:(笑)「あけの」という名前は、実は私も今回M&Aを進める中で、父から聞いて初めて知りました。文献などにはきちんと残されていないそうなのですが、父が伝え聞いたところによると「先人が切り拓いた土地、あかるい野原」が由来のようです。もともと山だったところを切り拓いて畑にしている。(現在の圃場がある場所は)土地改良が入って、実際とても農地に向いた素晴らしいところなんです。いい畑の条件って、水、日照、灌漑、沖縄だと台風をどう避けられるか、という点がポイントです。そういう意味でも、かなりいい条件の土地をご先祖様が用意してくれたのかなと思っています。 畑って1年、人の手がかかってないと、(畑として)もとに戻らないんですよ。畑を永続することの難しさを知っているからこそ、どんな形であれ生産を続けていく。そういう想いも今回受け継いだと感じています。
―今後の夢についてお聞かせください。
宮城様:私のまわりの農家さんではマンゴー以外にもパイナップル、すいかなどおもしろい特産品があります。こうした特産品をたとえばあけのフルーツが卸機能をもって発送していく。地域の農家が継続していけるか、まずはマンゴー組合から発信して、違う作物にも広げていってということを考えています。遠くない将来、必ず食料問題は訪れます。農地を耕して、地域で生産する農家の人たちがリッチになる、という世界を実現していきたいですね。おそらくそれが実現するのは自分が80代ごろ、孫の世代でしょうか。農業の発展という意味で、地域の特産品を巻き込んでいくということができたらいいなと考えています。
今回の提携は、あけのフルーツを継続させるために不可欠なプロセスでした。成約してなかったら生産ができなくなっていたと思います。今後も生産を継続でき、社員も雇用が維持される。なにより精魂込めて手入れしてきたこの農地が地域特産フルーツの生産で地域にも貢献できる。この先、生産が続けられないかもしれない、そうした懸念が払しょくされて本当にホッとしていますし、これからのチャレンジに向けて気を引き締めているところです。
―最後になりますが、M&Aを検討されている方にアドバイスをお願いします。
宮城様:私も今回プロセスの中で気づきを得ましたが、価値ある事業はどんな形でもやはり残していく必要があると考えています。継ぐ人がいないからといって、簡単にあきらめてはいけない。
沖縄県の後継者不在率は全国平均より高く、8割にのぼるといわれています。沖縄に限らず、「事業承継を考えてない」理由として多いのが「忙しくてじっくり考える時間がない」からだそうです。大手企業だといわゆる経営だけ考える人、現場の人、それぞれいますが、中小企業の経営者は日々現場を取り仕切らなければいけないので、経営に専念して考える余裕はないですよね。ならば、日本M&Aセンターのような会社の力を借りるのが早いです。M&Aありきではなく、外部への事業承継が向いているのか、別の選択肢があるのかどうか。そういうところから相談することができると聞いています。なんだか日本M&Aセンターの宣伝っぽくなりましたが(笑)。
ただ、実際にM&Aをやるかどうかはおいて、忙しさを理由にせずに自社の事業価値を普段からきちんと認識しておくことは大切だと改めて実感しました。そして、譲渡すると決めたら興味をもってもらえる企業と、とにかく会ってみる。面談を重ねることで軌道修正ができますし、将来像を多面的に検討できます。 事業が属人的であればあるほど、承継には時間がかかるし、難しくなると思っています。 M&Aは時間の余裕をもって検討されることをおすすめします。
―本日はありがとうございました。
宮城様:ありがとうございました。泉州屋さんからもたくさんお話聞いてきてください。
菓子・珍味の製造販売を行う譲受け企業はM&Aで成長を加速させ海外進出も果たしました。成長にドライブをかける原点となった1社目のPMI成功について伺いました。
ジェネリック医薬品の卸売業を営む八戸東和薬品は、異業種のきちみ製麺を譲受けました。約2年経った現在話を伺いました。
120年以上温麺の製造を行う「きちみ製麺」が譲渡先に選んだのは、ジェネリック医薬品の卸売業の会社でした。成約から約2年経った現在について伺いました。
まずは無料で
ご相談ください。
「自分でもできる?」「従業員にどう言えば?」 そんな不安があるのは当たり前です。お気軽にご相談ください。
担当コンサルタント
創業30年の老舗マンゴー農園であるあけのフルーツ様の事業承継のお手伝いができて大変うれしく思います。譲り受けた泉州屋様は農産物の付加価値加工や販売に強みを持つ青果仲卸大手であり、大きな相乗効果が期待できる資本提携となりました。後継者問題に悩む農業生産者のM&Aモデルケースになるよう、今後も両社の発展を応援いたします。
大阪支社 営業企画部 CS推進課 眞辺 翔子 (成約式 セレモニスト)
本案件の成約式の担当をさせて頂き大変光栄でした。ご両社様共に素敵なお人柄で大変笑顔の多いお式を執り行う事が出来ました。譲渡前社長よりこういった物を家に飾りたいという要望を受け形にした成約証明書をお渡ししました。想像以上に喜んで下さり、感無量でした。ご両社様の相乗効果でどんな未来を作り上げて行かれるのか非常に楽しみでなりません。